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第四章、近世の文学
(1)普通は江戸時代(大政奉還まで)の文学は近世の文学と称される。
(2)政治の安定=>町人文化の誕生、町人階層は文化の最大の担い手になった。
(3)近世の文学は前期と後期に分かれる。
前期においては、文化や文学の中心は京阪を中心とする上方であり、宝暦、明和あたりを境にして文化の中心は江戸へ移っていく。
この過程は「文運東漸」という。
(4)文化化政期に、文化は頂点に達し、狭義ではこの時代の文学を江戸文学という。
一、詩歌
(一)和歌:
Ⅰ、堂上和歌:
1、近世の和歌は中世和歌の系統を継承した細川幽斎(二条派系統を引く)とその門下(古今伝授を中心に)から始まる堂上和歌の世界の一大勢力になった。
(1)歌論集:
「耳底記」(じていき)(細川幽斎術、鳥丸広光記録)
私家集:
「黄葉和歌集」など(鳥丸広光)
(2)堂上歌人(公家社会の歌人)を育てたが、新風は生まれなかった。
2、近世中期において、冷泉為村(れいぜいためむら)を中心とする江戸堂上派は形成された。
3、地下和歌で有力な幽斎門流は弟子の松永貞徳(まつながていとく)と木下長啸子である。
Ⅱ、和歌の革新:
着瀬三之(きせさんし)、下河辺長流(しもこうべちょうりゅう)、戸田茂睡(とだもすい)
1、戸田茂睡(江戸):
「梨本集」などによって、二条派の古今伝授や用語制限論を批判した。
2、下河辺長流(大阪):
「万葉集」を研究し、「万葉集管見」を著した。
3、僧契沖(けいちゅう)は従来の秘伝的な研究を打破して、「万葉代匠記」を著して、「万葉集」全部の歌に詳細な注釈を加え、大成した。
また、記紀歌謡、「古今和歌集」、「伊勢物語」などの注釈や仮名遣いの研究にも業績を残した。
Ⅲ、国学の発展:
1、荷田春満(かだのあずままろ):
契沖に師従し、古典を研究し、儒教、仏教に影響されない古典に表れた日本の古代精神を明らかにしようとし、「道の学び」としての国学を確立した。
2、賀茂真淵(かものまぶち):
荷田の門人で、国学と歌を一つの頂点に達させた。
(1)国学の面:
道を明らかにする古道主義思想を唱えた。
(2)和歌の面:
①「万葉集」を研究し、和歌の実作に万葉主義を持ち込んだ。
彼は自然のままの素直な心を尊び、万葉復古の「ますらをぶり」と「古ぶり」を主張した。
②晩年には、「万葉考」、「祝詞考」を著し、記紀歌謡に理想を移した。
③真淵の門人は彼の屋号「県居」(あがちい)に因んで(ちなむ)、彼の流派を県居派もしくは県門(あがたもん)と称した。
その門下には田安宗武、加藤千陰、村田春海を始めとする十二大学や多くの学者が出たが、古学を大成したのは本居宣長(もとおりのりなが)である。
3、本居宣長:
(1)古典を研究するとともに、漢意を排して、古代の神ながらの道を尊重し、古(「新古今集」)の「まことの道」を追求して、国学を完成した。
①「古事記伝」:
35年間で完成し、「古事記」の注釈書として、古今を通じて最大のものである。
②「源氏物語玉の小櫛(おぐし)」:
物語の本質として、道義的な見解を排して、「もののあらわれ」の文学観を提唱した。
(2)宣長は歌人として「もののあらわれ」の立場から「新古今和歌首」を重んじて、新古今風の歌を詠んだ。
その一門は「鈴の屋派」という。
(3)宣長の没後、平田篤胤(ひらたあつたね)はその研究を継ぎ、国粋主義のけいきょうを強くしていった。
真淵、宣長の研究に見られた文献実証的な研究を継いだのは本居春庭、伴信友(ばんのぶとも)、富士谷成章(ふじたになりきら)、塙保己一(はなわほきいち)らである。
富士谷成章は「挿頭抄」(かんざししょう)、「脚結招」(あゆいしょう)を著した。
Ⅳ、桂園派
1、京都においても和歌革新の動きが起こった。
その中心は平安四天皇とう呼ばれる澄月(ちょうげつ)、慈円(じえん)、伴高渓(ばんこうけい)、小沢蘆庵(こざわろあん)である。
小沢蘆庵は「万葉集」を重んじる真淵と「新古今和歌集」を重んじる宣長に対抗して、「古今和歌集」を範にし、「ただこと歌」を主張した。
「ただこと歌」:
比喩を借りずに、深い心を平淡に詠む歌を指す。
2、小沢の説を受け、古今調を主調にし、「調べの説」(音律の調べ)を主張したのは香川景樹(かがわかげき)である。
景樹の一門は桂園派と呼ばれ、真淵の県居派と並んで、近世における二大流派を形成した。
桂園派の代表的な歌人:
熊谷直好(くまがいなおよし)、木下幸文(ものしたたかふみ)、八田知紀(やったとものり)
江戸時代の三大派:
京都:
桂園派
江戸:
県居派(江戸派)と宣長の鈴屋派
Ⅴ、ほかの歌人(三派以外):
1、越後(えちご)(新潟(にいがた))の良寛(りょうかん):
写実的で平明な歌境
2、越前(福井)の橘(たちばな)曙覧(あけみ):
写実的に清真の生活を詠んだ。
3、筑前(福岡)の大隈言道(おおくまことみち):
日常の出来事を観察し、奇抜で軽妙な歌風を示した。
4、備前(岡山)の平賀源義(ひらがもとよし):
万葉歌人である。
5、女流歌人:
野村望東尼(のむらぼうとうに)、大田垣蓮月尼(おおたがきれんげつに)
(二)俳諧:
「俳諧の連歌」の略称で、戯れ、滑稽の意である。
内容の面白い俳諧は次第に庶民の間に流行し、作者、読者の最も多い文学となった。
1、貞門俳諧:
俳諧を中世連歌から独立させ、近世的文学としての性格を与えたのは松永貞徳(まつながていとく)である。
(1)貞徳は俳諧が和歌と連歌の間にある段階と考え、俳諧の特質と滑稽を認めながらも、下品猥褻な内容を退けた。
(2)「俳言」(はいごん)の使用に俳諧の特質を置いた。
「俳諧は連歌の入門であり、俗語を交えた連歌は俳諧である」と主張した。
(3)貞徳は「俳諧御傘」(はいかいごさん)という俳論書を著した。
(4)貞徳一派(いっぱ)は貞門と呼ばれ、松江重頼(まつえしげより)、安原貞室(やすはらていしつ)、北村季吟(きたむらきぎん)などがいる。
その煩雑のため、寛文末ごろから、貞門俳諧は衰えていった。
その中、松江重頼は早くから言葉遊びに落ちた貞門俳諧に不満を持っていた。
2、談林俳諧:
その派の中心人物は大阪の西山宗因(にしやまそういん)である。
(1)この派は古典的伝統から俳諧を解放し、自由を求め、現実に立って、自由奔放(ほんぽう)の俳風を打ち立てた。
(2)付句でも、貞門の物付に対して、心付の優位を強調した。
物付:
前句に詠まれた物から想像して、次句に新たな物を詠む手法
心付:
前句の意味内容から発展して、次句を付ける手法
(3)門下の井原西鶴(いばらさいかく)(大阪)は矢数俳諧を催し、貞享元年(1684)に23500句独吟の記録を残し、「二万翁(おきな)」と呼ばれた。
矢数俳諧:
一人が一日に作れる俳諧の句を競うもの。
(4)江戸では、田代松意(たしろしょうい)は「談林十百詞」(1675)を刊行し、庶民の俳諧を集結した。
(5)京都には菅野谷高政(すがのやたかまち)、岡西惟中(おかにしいちゅう)がいる。
自由奇抜なこの派は「詩」としての純度を失い、自滅することになった。
談林俳諧の流行はわずか十年で終焉した。
3、蕉風俳諧への過渡:
桃青(若きの芭蕉)、山口素堂(やまぐちそどう)、小西来山(こにしらいざん)、池西言水(いけにしごんずい)、上島鬼貫(うえじまおにつら)らは俳諧に「詩」本来の芸術性を求めて、反省した。
素堂は穏健な歌風を示して、芭蕉とともに全国を歩き回ったことがある。
鬼貫:
「本来無一物」の悟りから、「まことの他に俳諧なし」という「まとこの俳諧」を唱えた。
4、蕉風俳諧:
俳諧を一つの頂点に推したのは松尾芭蕉(まつおばしょう)である。
(1)芭蕉は京都の北村季吟の指導を受け、貞門俳諧を学んだ。
のちに談林俳諧を学び、談林の一員として頭角を現した。
深川に芭蕉庵を構えたごろから、独自の道を思索し始めた。
江戸大火(1628)の後、人生「旅」と捉え、漂泊者としての道を決意した。
(2)芭蕉の俳風は蕉風と呼ばれ、芭蕉の根本的な姿は「風雅の誠」を追求することにある。
「造化にしたがひ造化にかくれ」を旨とする。
(3)芭蕉の理念:
①不易流水(ふえきりゅうすい):
俳諧の本質の不変(不易)と脱皮変貌(流行/流水)の両面性を指す。
②さび、しおり、ほそみ、かるみ:
いずれも芭蕉の美的理念を指す言葉である。
さび:
蕉風俳諧の根本的な理念、自然と一体になった時に現れる閑寂、枯淡の境地、またその中に生かされる表現の美。
「句の色」
しおり(しほり):
優しく細かくしなやかな感じ。
対象に対する愛憐の情が自然に現れるものを指す。
「句の姿」
ほそみ(細み):
繊細な感情によって対象を捉えるところに生ずるもので、内的な深みに食い入った状態。
かるみ(軽み):
芭蕉晩年の理念で、表現の重厚さを脱し、平俗なことをも詩的な美へと昇華させる境地。
におひ:
句付には前句の気分、情趣、余情などを美しく調和するように付ける。
(4)芭蕉の作品:
①前期の作品:
「虚栗」(むなしぐり)、「武蔵曲」(むさしぶり)
特に「虚栗」は芭蕉を主とす蕉門の最初の俳諧集であり、字余りや漢詩文の趣向を取り入れた、
字余り:
五音すべき所を六音以上に、七音すべき所を八音以上にすること。
②芭蕉七部集:
a「冬の日」(1685):
旅に出て、名古屋で門弟たちや尾張五歌仙と発表したものである。
「狂歌こがらしの身は竹斎にいたる哉(かな)」を巻頭に置いたこの集こそ蕉風確立の宣言であり、七部集の最初に位するものとなった。
b「春の日」(1688)
c[旷野](あらの)(1689)
「奥の細道」の旅の後:
d「ひさご」
京、奈良を遊んだ後:
e「炭俵」(すみだわら):
「かるみ」の新風を開拓した。
g「続猿蓑」:
芭蕉晩年の高悟帰俗の俳風を示して、それを完成ご、大阪で病死。
③紀行文:
a「野ざらし紀行」:
1685-1687江戸へ帰った後書いた最初の紀行文である。
「野ざらしを心に風のしむ武装」という句によって示された旅や人生への姿勢は以後の紀行文の基調になった。
bその後、「鹿島紀行」(かしま)、「更科紀行」(さらしな)、「笈の小文」(おいのこぶみ)を作った。
c元禄七年に完成した「奥の細道」は最後の作品として最も重要で完成度の高い作品である。
④ほかの作品:
「幻住庵記」(げんじゅうあんのき)、「嵯峨日記」などの俳文や日記
(5)芭蕉の弟子:
向井去来(むかいきょうらい):
「来去抄」
服部土芳(はっとりどほう):
「三冊子」(さんぞうし)
森川許六(もりかわきょろく):
「風俗文選」を著し、蕉門の俳文を集めた。
榎本其角(えもときかく):
江戸座を興した。
蕉門十哲:
向井去来、森川許六、榎本其角、服部嵐雪(らいせつ)、内藤丈草(ないとうじょうそう)、志太野波(しだやば)、立花北枝(たちばなほくし)、杉山杉風(すぎやまさんぷう)、越智越人(えちえつじん)、各務支考(かがみしこう)
5、天明期の俳諧――与謝蕪村(よさぶそん)
芭蕉の死後、俳諧は俗化し、天明年間、京都の与謝蕪村らは「芭蕉に帰れ」と主張した。
やがて、蕪村を中心に天明期の俳風が確立された。
彼は芭蕉を慕って、奥羽を行脚(あんぎゃ)したことがある。
(1)「あけ烏」という俳諧集を刊行して、名声を広げた。
(2)俳詩という新しい様式を創出して、近代詩の可能性を示唆した。
(3)芭蕉vs蕪村:
芭蕉:
現実生活を重んじて、「高く悟りて俗に帰る」、「俗を離れて俗に帰る」という境地を主張した。
蕪村:
「離俗論」を唱え、俗世をはるかに超えた雅や芸術を追求する。
作品には芭蕉の持つ庶民性、現実性に欠ける。
6、幕末の俳諧:
小林一茶(こばやしいっさ)
天明期後、俳諧はさらに低俗化し、遊戯的な月並み俳諧が流行した。
俳諧の新風は明治の正岡子規(まさおかしき)を待たねばならない。
月並み俳諧:
月次で例月の句会のこと
小林一茶はその低俗性に対して人間感情を直述すると主張した。
「おがら春」、「父の終焉日記」などの作品を残した。
(三)狂歌:
狂体の和歌を狂歌という。
近世になると、俳諧の盛行とともに、ひとつの様式として独立した。
松永貞徳をひじめ、門人もたくさんの狂歌を作った。
1、大阪の生白堂行風(せいはくどうこうふう)が貞門狂歌を集大成し、古今の狂歌を集めて「古今夷曲集」を刊行した。
2、大阪の鯛屋貞柳(たいやていりゅう)の「浪花(なにわ)ぶり」と呼ばれる流派によって上方狂歌は全盛期を迎えた。
3、後期になると、内山椿軒(うちやまちんけん)の門下から若い幕臣の唐衣橘洲(からごろもきっしゅう)、四方赤良(よものあから)、朱楽菅江(あけらかんこう)などが出て、「狂歌若葉(わかな)集」、「万載(まんざい)狂歌集」などが出版され、天明狂歌の粋を示した。
4、化政期に宿屋飯盛(やどやのめしもり)、鹿都部真顔(しかつべのまがお)
(四)川柳(せんりゅう)
1、雑俳:
元禄時代、雑俳という遊戯的(ゆうぎてき)な俳諧が行われた。
前句付、冠付、沓付、折句などがあったが、特に前句付が流行した。
前句付:
選者は連句の前句(77)(または後句)を出して、ほかの者は各々の付句(575)を付けて、三十一文字の短歌を作りだすゲームである。
短句(77)を出して長句(575)を付けることと長句をに短句を付けることの二種類がある。
その後、前句付専門の撰者(点者)が出て、その中で慶紀逸(けいきいつ)が「俳諧武玉川」という付句集を集めた。
2、川柳:
1765(明和二年)、呉陵軒可有(ごりょうけんあるべし)が柄井川柳(からいせんりゅう)の付句を「俳風柳留」(やなぎだる)という本に編集して人気を集めた。
それから、前句付から「川柳」という付句が独立した。
川柳は俳諧の発句と異なり、季語や切れ字の制限もなく、日常語を使う。
初代川柳以後は、しだいに衰微していた。
(五)江戸時代の歌謡:
1、江戸時代初期に、「閑吟集」(かんぎんしゅう)の流れを汲んだ隆達小歌が栄えた。
2、中国から蛇皮線、三味線が中国から伝来し、普及され、近世歌謡は上昇期を迎えた。
上方では7775調を中心とする弄斎や片撥(かたばち)という小歌が流行した。
元禄年間に「松の葉」に集大成された。
中に組歌、長歌、端歌などの地歌(平凡な歌)が収められた。
(1)長歌:
江戸長歌とも呼ばれ、江戸では歌舞伎の伴奏音楽として栄えた。
(2)組歌:
隆達小歌などを数曲合わせたものである。
(3)端歌:
文政期に大成した小品の三味線歌曲である。
3、元禄年間以後、浄瑠璃、歌舞伎との関係から、清元節(きよもとぶし)、新内節(しんないぶし)、常磐津節(ときわずぶし)などの洒落な歌謡が流行した。
4、地方の歌:
(1)伊勢音頭(いせおんど):
伊勢地方に生まれた民謡。
(2)江州音頭(ごうしゅうおんど):
滋賀県八日市(ようかいち)市を中心とする地方の歌謡
二、漢学の発展:
朱子学(しゅしがく)が幕府の保護によって盛んになったが、陽明学、古義学、古文辞学などの反朱子学も現れた。
(一)朱子学:
1、林羅山:
藤原惺窩(せいか)の弟子であり、徳川家康に仕え、朱子学を官学とする基礎をした。
彼は幕政に関与すると同時に、「林羅山先生詩文集」などの詩文や注釈書を残した。
2、新井白石(あらいはくせき):
自伝的な随筆の「折(おり)たく柴の記」を
著した。
3、室鳩巣(むろきゅうそう):
随筆の「駿台雑話」(すんだいざつわ)を完成した。
4、貝原益軒(かいはらえきけん):
儒学ばかりではなく、医学書の「大和本草」をも著した。
5、石川丈山(いしかわじょうざん):
漢詩文に秀で、「日東の李白」を称された。
富士山を詠んだ七言絶句が有名である。
6、山崎暗斎(やまざきあんさい):
晩年に神道に加味し、独自の学風を示した。
(二)陽明学:
中江藤樹(なかえとうじゅ)は近江聖人と称され、日本の陽明学の祖となる。
(三)古学:
1、古義学派(堀川派):
伊藤仁斎(いとうじんさい)は古義学派の祖となり、「論語古義」を著し、日常生活を重視し、孔孟の「仁」という道徳を重んじた。
2、古文辞学派:
荻生徂徠(おぎゅうそらい)は古典、古語の研究によって経書の神髄によることを説き、古文辞学を開いた。
3、古注学派:
皆川淇園(みながわきえん)、狩谷掖斎(かりやえきさい)が開いたものである。
以上の三つの学派はともに「論語」などの儒学の書物を「古へ」の意味において解釈することを思想の根本に置いたので、古学と総称される。
古学は以後の国学の成立にも影響を与えた。
4、古学派の文学:
古学派は朱子学の道徳性を批判し、人情説を提唱する。
漢詩文を専門とする文人が輩出した。
徂徠門の服部南郭(はっとりなんかく)はその代表者である。
(1)この時期の漢詩は唐の詩の格調を模倣し、格調派と呼ばれた。
(2)十八世紀の後半になると、唐詩の模倣に飽きて、平易な表現で心情を詠もうとする性霊派が登場した。
(四)江戸末期の詩人:
1、天明、寛政期(1781-1801)に市河寛斎(いちかわかんさい)や菅茶山(かんちゃざん)らは宋詩を推し進めた。
2、茶山の塾にいた頼山陽(らいさんよう)は「日本外史」で尊王思想を主張した以外、詩人としても有名である。
3、梁川星厳(やながわせいがん):
「文は山陽、詩は星厳」と称され、玉池吟社を創った。
倒幕運動にも関係した。
4、女流漢詩人:
星厳の妻の紅蘭(こうらん)、山陽の門人の江馬細番(えまさいこう)
(五)狂詩の流行:
1、狂詩:
江戸中期以後流行した滑稽を主とした漢詩体の詩である。
(狂詩vs漢詩相当于狂歌vs和歌、川柳vs俳諧)
2、狂歌の双壁:
(1)太田南畝(おおたなんぼ):
「寝惚(ねぼけ)先生文集」
(2)畠中観斎(はたけなかかんさい):
「太平楽府」(がふ)
三、町人小説:
(一)仮名草子:
主に仮名を用いて書かれた読み物で、中世の御伽草子(おおとぞうし)の流れを汲む江戸初期の通俗文学の総称である。
御伽草子の後を受け、本格的な近代小説浮世草子が登場するまでの橋渡しの役割を果たした。
1、教訓性のもの:
「二人比丘尼」(ににんびくに)、「清水物語」(しみずものがたり)
2、世相を批判するもの:
「可笑記」
3、笑話集:
「醒睡笑」
4、ほかの作品:
(1)「仁勢物語」:
「伊勢物語」をパロディー化した物である。
(2)「浮世物語」:
浮世房という滑稽な人物の一代記を通して世相を描く。
(3)「竹斎」(1624富山道治):
藪医者(やぶいしゃ)竹斎の滑稽な東海道の旅行の記
(4)「伽婢子」(おときぼうこ):
中国の「剪灯新话」をもとにした怪談集である。
(5)伊曾保物語(いそほ):
「イソップ物語」を訳したものである。
(二)浮世草子:
元禄時代を出発点とし、明和のころまでの約百年間、上方を中心として当代の享楽生活や好色風俗を取り入れて書き上げた写実的な風俗小説である。
浮世草子の出現は真に近世的な小説が初めて成立したということになる。
注:
好色:
平安時代に定着した文学理念で、「粋」、「通」によって表現された哀れや風雅で人間の愛や自由への追求を表現する。
1、井原西鶴(いはらさいかく):
(1)「好色一代男」(こうしょくいちだいおとこ):
もともと談林派の俳諧師であった西鶴はこの作品で仮名草子と一線を画する浮世草子を作りだした。
本書は世之助の愛欲生活を描いた。
西鶴もこれで浮世草子の作家に転じた。
(2)作品:
①好色物:
「好色一代男」(1682)、「好色一代女」(1686)
1685(貞享(じょうきょう)二年)刊の「西鶴諸国ばなし」を契機に=>
②説話物:
「本朝十二不孝」(1686)
③武家物:
「武道伝来記」(1687)、「武家義理物語」(1687)
④町人物:
「日本永代蔵」(1688):
町人の出世談
「世間胸算用」(1692)(せけんむねさんよう):
中産階級の悲喜劇
「西鶴置土産」(1693)(おきみやげ)
「万の文反古」(よろずのふみほうぐ)
2、西鶴以後の浮世草子:
出版者が作者を兼ねる傾向になり、独創性を喪失していった。
新生面を開いたのは京都の八文字自笑(はちもじじしょう)が刊行した八文字屋本であった。
主な作者:
気質物:
「浮世親仁形気」(うきよおやじかたぎ)(八文字自笑)
「世間息子気質」(せけんむすこきしつ)(江島其蹟)(えじまきせき)
注:
気質物:
人間を身分や職業によって分類し、各類の持つ気質を描く。
(三)読本:
文章を主とした本
Ⅰ、読本の前身:
八文字屋本中の時代物と総称される一群
Ⅱ、読本の出現:
上方の知識人による中国小説の翻案や模倣から始まった。
その始祖は儒医の都賀庭鐘(つがていしょう)である。
1、前期の読本:
前期の人々は小説創作を本業とせず、いわば余技として著作し、その傾向としては短編小説が多い。
(1)都賀庭鐘:
①1749(寛延二年)に、中国小説の「古今奇観」などを翻案して「古今奇談英草子」を刊行し、読本を創始した。
②「英草子」やその後編の「繁野話」(しげしげやは)などの短編の奇談小説集を発表した。
(2)建部綾足(たけべあやたり):
和文体の「西山物語」や「本朝水滸伝」を著した。
(3)上田秋成(うえだあきなり)(大阪人):
彼の登場によって前期読本が完成された。
①1768-1776(明和)の八年にかけて、前期読本の代表作である「雨月物語」(うげつ)を完成した。
これは日本の古典と中国の小説から素材を取って作った短編怪異小説である。
九編からなる。
雅俗折衷の文体を用いた。
②晩年の作品:
秋成の特異な歴史観を託された十編からなる「春雨物語」を著した。
2、後期読本:
その中心は江戸に移った(文運東漸)。
内容の面で中国の長編小説の影響を受けて、長編伝記小説の傾向が強くなった。
化政期に、読本は最盛期を迎えた。
(1)山東京伝(さんとうきょうでん):
黄表紙(きびょうし)、洒落本(しゃれほん)の作者として活躍していたが、寛政の取り締まりで読本に転じた。
「忠臣水滸伝」、「昔話稲妻表紙」を著した。
(2)曲亭馬琴(きょくていばきん):
京伝の門下である。
多くの力作を発表して読本界をリードする作家となった。
馬琴の読本の最大の特色は中国長編小説の影響を受けた構成である。
①「南総里見八犬伝」(なんそうさとみはっけんでん):
もっとも有名な作品で、28年をかけて完成した。
九十八巻六百冊からなる和漢混交、雅俗折衷の文体で書かれ、長編読本の最高水準を示している。
「水滸伝」からヒントを得て、南総の里見家の後興を目指す家臣の八勇士の武勇伝である。
②ほかの作品:
「三七全伝南柯の夢」、「椿説弓張月」(ちんせつゆみはりづき)、それらは「八犬伝」とともに三大奇書と呼ばれ、馬琴の自信作である。
③小説論:
「稗史七法則」(はいし):
稗史七則とも呼ばれ、馬琴が1837(天保八年)に発表された独自の小説理論である。
七法則:
主客:
主角与配角
伏線:
即伏笔
照応:
反复强调中心思想
省筆:
不要对同一件事反复说
隠微:
有文外之意
親染:
因果关系
反対:
物、人が同じけど、事は同じからず
④馬琴の読本は芥川龍之助(あくたがわりゅうのすけ)などの作者に影響を与えた。
(四)戯作文学:
江戸中期から、滑稽と通とを中心とする戯作文学が展開した。
題材や扱い方の違いから、洒落本、滑稽本、人情本などがあるが、本質的には相違ない。
通:
町人の遊里中心の文化から生んだ理想的な境地
Ⅰ、洒落
- 配套讲稿:
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