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要点问题
私たち日本人は中学・高校の六年間、英語を勉強している。
また、大学では英語の外に、もう一つ外国語を勉強する。
ところが、ほとんどの学生はマスターできないで終わってしまうことが多い。
なぜマスターできないのか。
それは外国語をマスターすることが目的になっているからである。
外国語はそれを手段として勉強した時に、身につくというのが、私の考えである。
目的は何でもいい。
留学したい、文学を勉強したい、映画を完全に理解したい、友だちと文通したい。
目的はなんでもいい。
とにかく、その目的を達成するためには、泣いても笑っても、その外国語を習得しなければならないという場合、外国語の学習は楽しくなるものである。
外国語の勉強は、ある目的を達成するための手段・道具であって、それが目的ではない。
学校の外国語教育がつまらなく、また期待したような成果が上がらないのは、外国語の習得そのものが目的になっているからである。
問:
本文の要点を簡潔にまとめた文はどれですか。
1.外国語の勉強は楽しいものだから、勉強すればだれでもマスターできる。
2.外国語の勉強は大切なので、学校でそれをマスターさせるのは正しい。
3.外国語は何か外の目的のために勉強した方がいい。
4.外国語はそれをマスターするために勉強した方が成果が上がる。
今年も12月24日が来た。
街はクリスマス一色だ。
サンタクロース、クリスマスツリー、デコレーションケーキ。
また12月はボーナスの季節でもある。
デパートはクリスマスプレゼントをいっぱい並べて、父親たちのボーナスを待っている。
クリスマスはデパートの金儲けのためだけにあるように見える。
「クリスマスイブ」の日本語訳は「聖夜」だ。
だから、尊く厳粛なはずだ。
ところが、酔っぱらいのドンチャン騒ぎ。
飲み会が朝まで続く。
最近では、静かにクリスマスの夜を、というホテルのディナーが流行している。
軽薄な若者たちがそんなホテルの企業宣伝にだまされ、何万円もの金を払う。
愚かなことだ。
日本人はいつからクリスマスにバカ騒ぎをするようになったのだろうか。
クリスマスは外国の、しかも、キリスト教国の習慣だ。
外国のものを貪欲に取り入れて、自分のものにしてしまうのは悪いことではない。
しかし、クリスマスのバカ騒ぎはいただけない。
不謹慎、無節操。
やめろとは言わないが、自分の姿をもう一度見直してもらいたい。
問N:
本文の要点を簡潔にまとめた文はどれですか。
1.クリスマスは確かに日本のものではないが、実際は、大きなイベントと考えられているので、少しぐらいだったら、バカ騒ぎをしてもかまわない。
2.外国のものを取り入れることは、いいことである。
クリスマスに飲んで食べて大騒ぎするのも、一年に一度ぐらいはいいと思う。
3.外国の習慣をまねするのは悪いとは言わない。
しかし、そのまねのしかたが問題だ。
不謹慎で無節操な日本人の態度をもう一度考えてもらいたい。
4.日本人はキリスト教国ではないが、クリスマスの夜を祝うことは特に悪いことではない。
反対に、それをやめろというのは間違っていると思う。
先日学科長からこんな話があった。
日本の大学院に留学して日本語をもっと深く勉強してこいというのだ。
私はまたとない機会だと思ったが、妻の仕事や子供の学校のことを考えると、すぐには返事ができなかった。
私は現在、インドネシアのある大学で日本語を教えている。
かつて日本の大学で日本文学を学び卒業した。
そして、インドネシアの大学で日本語を教え始め、5年が過ぎた。
教えてみると、自分の日本語の実力が不十分であることがよくわかった。
周りに日本人の先生もたくさんいて、いろいろと教えてくれるのだが、彼らも毎日の仕事があるので、いつも私の面倒を見ることはできない。
だから、もう一度、日本へ行って勉強をやり直したいとずっと思っていた。
また、将来も大学で日本語を教えるならば、修士の学位が絶対に必要だと、学科長からも言われていた。
年令ももう若くはないし、これがたぶん最後のチャンスになるだろう。
もし、家族全員で日本へ行けば、妻は仕事をやめ、子供は学校を変わらなければならない。
私一人で行けば、妻も子供も寂しいだろうし、私も一人で日本で生活できる自信がない。
今、どうしたらいいかとても悩んでいる。
問:
本文の要点を簡潔にまとめた文はどれですか。
1.この人は以前から日本の大学院に留学して、もっと日本語を研究したいと考えていた。
しかし、もう若くないし、妻の仕事や子供の学校の問題はあるが、日本へ留学しようと
決めた。
2.この人は日本の大学で日本文学を勉強して、現在、インドネシアの大学で日本語を教え
ているが、いつも自分の実力がないと感じていた。
だから、学科長から日本の大学院で
もう一度勉強してこいと言われた時に、すぐに「はい」と返事をした。
3.この人は将来もインドネシアの大学で日本語を教えたいと考えていたので、日本の大学
院留学の話はまたとない機会だと思った。
しかし、妻や子供に反対されたので、今、と
ても悩んでいる。
4.この人は現在インドネシアの大学で日本語を教えている。
ところが、五年間教えてみて、
自分の実力が不十分であることがよくわかった。
もっと勉強したいと思っている時に、
留学の話があったが、妻の仕事や子供の学校のことを考えると、すぐに返事ができない。
人は生まれた時は裸だ。
何も持っていない。
人生の出発は確かに平等のように見えるが、本当に平等なのだろうか。
例えば、金持ちの親から生まれたら、金持ちから出発することができるし、金の苦労はあまりしないだろうと思う。
反対に、貧乏な家に生まれた子供は、貧乏から出発しなければならない。
金持ちの子供の数倍の苦労をするかもしれない。
欲しいものも買えないかもしれないし、学校にも行けないかもしれない。
たぶん、どうして自分は貧乏なのか、貧乏は嫌だと言うだろう。
しかし、貧乏な家が嫌だからといって、金持ちの家に引っ越すこともできない。
これは運命なのだ。
結局、子供は親の持っている環境から出発する以外に方法はないのである。
その点では、人間は決して平等ではない。
問N:
本文の要点を簡潔にまとめた文はどれですか。
1.人間は平等のように見えるが、本当は生まれた時から不平等なのだ。
金持ちの家に生ま
れれば、金持ちから、貧乏な家から生まれたら、貧乏から人生を始めなければならない。
2.世の中には金持ちもいるし、貧乏な人もいる。
しかし、人間は生まれた時から、金持ち
だったのではないし、貧乏だったのでもない。
生まれた時は皆、裸だった。
だから、人
は皆平等である。
3.人間は元々平等なのだから、金持ちの人は貧乏な人を学校に行かせたり、欲しいものを
買ってやったりして、いろいろと助けなければいけない。
これが人の運命である。
4.貧乏な人は初めからいろいろなハンディキャップがあるから、金持ちの数倍の努力をし
なければならない。
そうしないと、いつまでも金持ちにはなれない。
町のゴミ収集場所に行くと、まだ使えそうな電気製品がたくさん捨てられている。
テレビはもちろん、カセットテープレコーダー、冷蔵庫、洗濯機、ステレオなど、いわゆる粗大ゴミである。
古くなった、飽きた、もっといいものが欲しい、隣の家で新製品を買ったなど、人はさまざまな理由をつけて、古いものを捨て、新しいものを買う。
だから、ゴミはどんどん増える。
どんな電気製品にも「寿命」があるので、この電気製品は大事だから永久に使いたいと思っても、いつかはゴミとして捨てられる時が来る。
もったいないがしかたがないことでもある。
ところが、中には修理に修理を重ね、何年も何十年も使う人もいる。
こういう人はものを大切に使ったという理由で、ほめられる。
長く使うことは、無条件でいいことだという素朴な感情だけでなく、安易にものを捨ててしまう社会風潮に対する批判でもあるのだろう。
翻って、電気製品を売る側から見たらどうだろうか。
何年も何十年も使うような人は、あまり歓迎されないに違いない。
古いものをいつまでも大事に使われたら、新しいものが売れなくて、商売あがったりだからだ。
むしろ、どんどん買い換えてくれる人の方が好ましいのだ。
もし、人間すべてが倹約家で新しいものをなかなか買わない人ばかりだったら、どうなるだろうか。
新しい商品は当然売れないだろう。
売れなければ、販売業、流通業の人がまず困る。
さらに、生産も減少するだろう。
そして、経済全体が停滞する。
経済が停滞したら、物質的な豊かさは実現しない。
つまり、ものを捨てることは経済を支えていることでもあるのだ。
ものを安易に捨てるのは、もちろんいいことではない。
できるだけ、長く使ったほうがいい。
しかし、古いものを捨てるから、新しいものが生まれるとも言える。
あまりに粗末にものを扱うのは論外であるが、ものを捨てることを一方的に非難するのも見当違いではないか。
ものを捨てることは、経済を動かす原動力でもあるのだ。
問:
本文の要点を簡潔にまとめた文はどれですか。
1.今の人々がまだ使えそうなものを捨てるのはよくないことである。
何度も修理して、何
年も何十年も使うべきである。
そうすれば、経済も発展し、物質的な豊かさが実現でき
る。
また、ゴミも増えない。
2.古くなったものを捨てるのはしかたのないことである。
これは若い人でも老人でも同じ
である。
経済が発展するためには、新しいものをどんどん作って売らなければならない。
何年も何十年も使うという気持ちはわかるが、それは古くて間違った考え方である。
3.何度も修理をして長くその品物を使うのは、とてもいいことである。
しかし、ものを捨
てるのをすべてよくないことだと非難するのも間違っている。
古いものを捨てなければ、
経済が発展しないことは認めなければならない。
4.不要になったものは捨てて、新しいものを買わなければ、現代経済は動かない。
経済が
動かなければ、私たちの生活は豊かにならない。
したがって、古いものはどんどん捨て
たほうがいい。
捨てるのがいけないと言う人は、経済がわからない人である。
私は時々テレビやビデオで映画を見ることがある。
一人で見ることもあるし、家族と見ることもある。
古いものも見るし、新しいものも見る。
ところが、テレビやビデオの映画は、正直に言って、つまらないのである。
笑っても、泣いても、怒っても、全然実感がないのである。
どんな名作も絵空事に見える。
かつて、映画館で見て感動した映画でも、テレビで見ると何も感じないことが多い。
どうしてなのだろうか。
理由は二つある。
一つは映画というのはやはり大勢の観客を対象にした芸術だということだ。
その点で、文学などとは根本的に違う。
例えば、広い客席で一人で見ていたらどうだろうか。
ただ、ばかばかしいだけであろう。
これは自分の部屋で一人で見るのとまったく同じである。
映画は大勢の人間と時間・空間を共有することが必要なのである。
もう一つの感動しない理由は、映画の時代感覚であろう。
その映画が作られた、または、その人が見た時の社会の雰囲気を、映画は忠実に反映する。
したがって、例えば、20年前に見て感動した映画でも、20年過ぎると、社会もさらには自分自身も変わってしまい、かつての感動は戻ってこないのである。
問:
本文の要点を簡潔にまとめた文はどれですか。
1.映画はどんな名作でも、映画館で大勢の人々といっしょに、また、作られたその時に見
なかったら、感動もないし、おもしろくもないのである。
2.映画には名作も名作でないものもあるが、もし、それが名作だったら、映画館で見ても、
テレビやビデオで見てもおもしろいし感動もする。
3.映画は映画館で大勢の人と泣いたり笑ったりして見た方がおもしろいが、映画は芸術だ
から、ビデオやテレビで見ても、十分におもしろいし感動する。
4.映画は時代が変わると、確かにおもしろさは少なくなるかもしれない。
しかし、本当の
名作ならば、時代の変化に影響されない。
ソウルオリンピックの時の話である。
イギリスの動物愛護協会が「犬の肉を食べるような国へ選手を派遣するな」と、かみついたことがあった。
これに対して、韓国側はどう反応したか。
犬の肉を食べるのは、我が国固有のものであり、文句を言われる筋合いはないと反論はしたが、結局、犬の肉を食べさせる食堂に対して、政府が「犬の肉を出してはいけない」という指導を行って、ソウルオリンピックは無事に終わった。
韓国には犬の肉を食べる習慣がある。
特に、中年以上の男性に人気が高く、現在でも決して多くはないが、そういう食堂がある。
女性の場合は、私の知る限りでは、犬の肉を食べることを嫌っている人が多い。
韓国全体でも、野蛮なことだ、悪い習慣だと考えている人の方が多いだろう。
しかし、よくよく考えて見ると、おかしな話である。
他国の人間が、どうしてその国の人が食べる物に文句をつけるのだろうか。
例えば、日本人は「さしみ」という生の魚の肉を食べるが、「生の肉を食べるような国へ選手を派遣するな」と言われたら日本人はどんな反応をするのだろうか。
きっと、みんな怒るだろう。
韓国人は別にイギリスの動物愛護協会の人に、犬の肉を食べろと言っているのではない。
オリンピック選手村の食堂で犬の肉を出すのでもない。
イギリス人が文句をつける理由はどこにもない。
一部の韓国人が犬の肉を食べるのは事実だし、変なことでもなんでもない。
イギリス人が牛や豚の肉を食べるのと同じである。
ただ、犬が身近な動物であり、彼らの世界では犬は「食料」のための動物ではないということだけである。
見方を変えれば、どの国民も皆変なものを食べているのである。
他人がうまいと思って食べているものに、文句を言う権利はだれも持っていない。
問:
本文の要点を簡潔にまとめた文はどれですか。
1.犬の肉を食べることは、あまりいい習慣ではない。
また、犬と牛や豚や魚を同じ食料と
考えるのはおかしい。
犬は身近な動物で、多くの人は犬を食料とは考えない。
だから、
イギリス人が文句をつけるのは当然である。
2.確かにどの国の人も皆変なものを食べているのである。
自分たちが食べているものだけ
が普通だと考えるのはいけないことだが、やはり、犬の肉を食べるのは認められないし、
野蛮なことだと思う。
3.韓国人はイギリス人に犬の肉を食べろと言っているのではない。
だから、イギリス人の
文句は間違っている。
他人が普通に食べているものに対して、だれも文句を言うことは
できない。
4.犬の肉を食べるなという理由は、確かにどこにもない。
だが、韓国人の中にも犬の肉を
食べることに反対する人は多いのだから、イギリス人の言うように、犬の肉はやめた方
がいいだろう。
今から27年も前のことであるが、ミュンヘンでオリンピックが開かれたことがある。
その時もアメリカ人選手の大活躍で、水泳競技はアメリカの圧勝だった。
そのアメリカの水泳選手の中に、マーク・スピッツという選手がいた。
金メダルを七つとった選手である。
私がこの選手の名前をよく覚えているのは、もちろん金メダルの数が多かったからであるが、決してそれだけではない。
この選手は実は医学部の学生だったのである。
オリンピックの終了後、彼はインタビューに答えてこう言った。
「オリンピックの後は、また大学に戻って、医学の勉強を続けます」と。
私はびっくりした。
医学部と水泳のオリンピック選手が結びつかなかったからである。
医学部というのは普通、大学の学部の中では最も難しいところである。
つまり、秀才が集まるところである。
その秀才がオリンピックで金メダルをとったのである。
こんなことはたぶん日本では起こらないだろう。
悲しいことだが、日本では勉強のできる学生と運動のできる学生を区別する傾向がある。
例外はあるが、勉強のできる学生がいい学生で、勉強のできない学生が、運動をするという考え方が根強くある。
勉強のできる学生は、法律や経済を勉強して、弁護士や裁判官、政治家、一流企業の幹部になろうとする。
医者、作家、音楽家、画家、教師などもこれに含まれるだろう。
言葉を変えれば、頭を使う専門家と言ってもいい。
彼らは社会の中で、尊敬を受ける。
一方、野球、相撲、サッカーなどの専門家は、頭を使う専門家と同じぐらい厳しい訓練を続け、一流のプロになるのだが、それでも、頭を使う専門家ほどは尊敬されない。
もちろん、軽蔑されることはないが、より低く見られる傾向はある。
つまり、「勉強ができる学生」「勉強ができないから運動をする学生」というように、学生を「勉強ができるか、できないか」で分けてしまう風潮が日本社会には確かにある。
だから、医学部の学生が水泳のオリンピック選手になって金メダルをとったことに驚いてしまったのである。
問:
本文の要点を簡潔にまとめた文はどれですか。
1.日本では医学部の学生がオリンピックに出ることは考えられないことである。
それは勉
強のできる学生が運動の選手になることがないからである。
だから、将来、マーク・ス
ピッツ選手のような人が出てくるとは思えない。
2.日本では運動のできる学生も、勉強のできる学生も同じように尊敬されているので、マ
ーク・スピッツ選手のような選手が将来出ても、不思議ではないし、出てくることは十
分に考えられる。
3.日本では、体を使う専門家も、頭を使う専門家も、どちらも厳しい訓練を受けている。
しかし、どちらかというと、体を使う専門家の方が頭を使う専門家よりも尊敬されてい
る。
将来、マーク・スピッツ選手のような人が出てくることは確実である。
4.日本では普通、勉強ができる学生と運動がよくできる学生を区別する傾向がある。
だか
ら、今はマーク・スピッツ選手のような人が出てくる可能性はないが、将来は、スポーツ
も勉強もよくできる人がきっと現れるにちがいない。
外国語を自由に操ることができる人を見ていると、本当にうらやましいです。
私も彼らのようになれたらいいと思います。
私は現在アメリカ、カリフォルニアに住んでいます。
中学二年生です。
父は商社に勤めていて、父の海外転勤でアメリカに来ました。
こちらには日本人学校はないので、現地の学校に通っています。
当然英語で授業が行われます。
来たばかりの時は、英語がほとんどわかりませんでした。
先生の話はもちろんちんぷんかんぷんでした。
クラスにはまったく英語に不自由しない日本の生徒もいます。
もう、何年もアメリカに住んでいる人たちです。
私はアメリカに来て二年たちましたが、彼らのように流暢に英語を話すことはできません。
かろうじて、授業についていける程度です。
私は彼らのように、バイリンガルになりたいという気持ちがあります。
でも一方で、なったらどうなるのかという不安があります。
というのは、彼らの日本語が変だからです。
何が変かというと、話す日本語は問題ないのですが、書いた日本語が変なのです。
私たちは夕方から補習校に通っています。
現地の学校だけでは、勉強が不十分だという理由で特別につくられた学校です。
もちろん日本人の先生が授業をしてくれます。
主に国語(日本語)と数学を勉強します。
その補習校の国語の授業で、満足に日本語で文章を作れない人がいるのです。
話し言葉をそのまま書いてしまったり、文章の内容が途中で乱れてしまったりします。
そのような学生は決して少なくありません。
彼らはあまり気にしていないようですが、私はそのようにはなりたくありません。
また、彼らは普通の日本人中学生なら、当然知っているはずの日本の歴史や小説、日本人の生活習慣などを知らないのです。
生活習慣については、外国で暮らしているのだから、お正月やお盆に何をするのか知らないのもしかたないでしょう。
でも、明治維新や徳川家康を知らないのでは困ります。
こういう人たちはいったい将来「何人」になるのでしょうか。
「何人」であるかというのは、大した問題ではないのでしょうか。
私はとても不安です。
私は両親も日本人ですし、やはり日本人として恥ずかしくない知識と教養を持ちたいと思っています。
彼らのように英語がまるで日本語のようにすらすら口から出てくるのも確かに魅力ですが、でもその前に、きちんとした日本語の文章が書ける日本人でありたいと思います。
問:
この中学生の言いたいことを簡潔にまとめた文はどれです か。
1.父親の転勤でアメリカで勉強できるチャンスをつかんだのだから、これを上手に利用し
て、英語をきちんと勉強したい。
それで日本語が変になっても、日本に帰れば、すぐに
日本語に慣れるので、そんなに心配していない。
2.アメリカに来てまだ二年しかたっていないので、授業で使われる英語がまったくわから
ない。
それで補習校に通っている。
そこで習う数学と日本語はやさしすぎるので困る。
できれば、英語も教えて欲しい。
3.日本人だから、日本語をきちんと書けなければいけないと思っている。
また、日本の歴
史や小説も知らなければいけないと思っている。
しかし、今はアメリカにいるのだから、
日本語や日本の歴史や小説などの知識が不十分でもしかたがない。
4.日本語と同じように英語を使えたらいいと思ってはいるが、正しい日本語の文章が書け
ないような日本人にはなりたくないし、日本の歴史や小説を知らない日本人にもなりた
くないと考えている。
私はいつもスーパーで買い物をしています。
そして、スーパーで買ったものを使って料理を作ります。
料理を作った後、いつも思うのですが、どうして、あんなにたくさんゴミが出るのでしょうか。
中身よりゴミの方が多いのではないかと思えるぐらいです。
例えば、肉や魚は発泡スチロールにのせられ、透明のラップで包まれています。
それから、野菜もビニールの袋に入っています。
卵もプラスチックの容器に入っています。
豆腐、牛乳、ジュース、お菓子など、ゴミの出ないものはありません。
ですから、一回料理をすると、ゴミ箱からゴミがあふれてしまいます。
どうしてこんなに必要以上に品物を包んだり、パックに入れたりするのでしょうか。
理由は簡単です。
便利さです。
一つ一つの品物が必要な分量に分けてあり、小さく、きれいに包んであれば、お客さんが買いやすいからです。
私たちが品物に払う代金の中には、この便利さに対する代金も含まれているのです。
もう一つの理由は、人件費です。
肉や魚をすべてその場でお客さんの注文を聞いて、量って売っていたのでは、とても手間がかかってしまいます。
また、大勢のお客さんを相手にするには、たくさんの人を雇わなければなりません。
外の品物も同様です。
初めから、お客さんが買いやすいように小さく分けてあれば、お客さんは自分で勝手に選びますから、人手が少なくてすみます。
ところが、よくよく考えてみると、お客さんもスーパーもあまり得をしているとは思えません。
不要なビニール、プラスチック、ラップ、パックなどは最終的にはゴミとして捨てられ、市役所の清掃車が集めて廃棄します。
燃やしたり、海の埋め立て地に捨てたりします。
その経費は私たちが払った税金でまかなわれます。
しかも、ゴミを燃やした煙やガスに悩まされなければならないのです。
結局、私たちは、一瞬の便利さのために、ずいぶん損をさせられているのです。
問:
本文の要点を簡潔にまとめた文はどれですか。
1.スーパーでは一つ一つの商品がビニールやプラスチックなどで包装されていて、大変便
利なのだが、スーパーとしては、人件費もかかるし、包装に使ったビニールやプラスチ
ックがゴミとなるので、反対にスーパーを悩ますものとなっている。
2.スーパーではなるべくゴミを少なくするために、ビニール、発泡スチロール、プラスチ
ックなどの包装材料を使わないようにしている。
したがって、人手がたく
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