日本文化史讲义.docx
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日本文化史讲义
日本文化史大纲
一 原始社会の文化
1歴史の出発点
国家のなかった時代を歴史以前とする考え方と同じ結論になり、原始社会は先史時代にはいってしまうのである。
人類の歴史は、人類が始めて生産用具を作り出し、社会的な生産労働を始めた時代から始まる、というのが今日の学界の通説である。
このように、日本歴史もまた石器の発生に始まるわけであるが、石器時代は、社会の構造から言うと、原始社会と呼ばれる段階にあたるのである。
2原始社会はどういう時代か
階級の対立もなく国家の権力もない社会、それが原始社会の、ほかの段階の社会の根本的に違う特質である。
3縄文土器
縄文時代だけでも一万年内外の、非常に長い年月にわたっていたことは疑いない。
縄文土器についてみると、大別して草創期、早期、前期、中期、後期、晩期の六細別すれば数十に上る様式上の段階が認められるのである。
特徴:
早期:
撚り糸を器面に転がして模様をつけただけ
前期:
本当の縄文をつけ、次第に複雑な外観をもつようになっていた。
中期:
彫刻や透かし彫りを加えた、立体的な装飾にとんだ
後期,晩期:
深鉢、浅鉢,台付け鉢、皿,土瓶形、香炉形など、器形においても、模様においても、千変万化を極め、華麗を尽くした。
たとえば:
勾玉
4生産力の停滞
新石器時代に入っていながら、いまだに狩猟、採集の経済から脱却していないという生産力の発達の停滞が見られた。
こうした生産力の停滞は、土器と石器との加工に発揮された高い工芸的才能にもかかわらず、石器時代人の精神内容を低い段階に釘付けにしないではおかなっかた。
物質を素材とする造形能力の高さと、社会を形成していく人間的自覚の低さとが、原始社会の文化の奇妙なアンバランスを形づくっているのである。
5呪術の支配
古代:
土偶、屈葬、貝塚
現代:
地鎮祭
無政府、無階級という、とかく近代的な感覚から美化されかねない特質を持つ原始社会の文化は、以上のように、きわめて低い生産力を土台とする、未開で低い内容の文化であったことを忘れてはならない。
とにかく数千年の長期にわたり,この列島の内部で特異の発達を遂げてきた原始社会の日本は、紀元前二世紀前後の時期に生じた大陸から新しい生産技術の輸入によって,根本的な変革を遂げることになる。
金属器の使用と水田耕作の開始による、縄文文化の終わりと、弥生土器によって特色付けられる新しい文化の誕生がそれである。
二 古代社会初期の文化
1金属文化の渡来
背景:
日本列島に閉じ込められた私たちの祖先が長い間、石器文化の段階で足踏みしている間に、大陸の漢民族は早くも金属文化の時代を迎え、強大な国家を作っていた。
すでに漢王朝の時代には鉄器時代に入っていたのである。
漢民族の四周への発展は目覚しく、その余勢はわが日本列島にも及んで、日本に金属文化と農耕技術とをもたらすこととなった。
2階級と国家の成立
背景:
水田耕作が始まると,今までよりもっと大規模な共同労働が必要となり、集落へのよ集中が密となっていた。
そして、余剰物質の蓄積が可能となり、労働力の大小強弱による富の大小の区別が現れる。
こうして、大きな富力を持つのが小なるものを隷属させ、時には奴隷化することによって、階級的採取関係が形づくられてきたのである。
階級関係はそうした物質的条件を基礎とする。
そして、それを背景として政治的支配の関係が生み出されていた。
国家の成立:
『漢書』、『魏志』
3君主制国家の形成
大王は各地に分立している諸小国の王の支配的地位をそのまま容認し、その上に間接支配権を行使するという、いわば諸小国連合の形で日本の君主となったのである。
だが、大王の政治的、経済的な力の蓄積にともなって、その統制力は次第に強化され、だんだんと中央集権的古代官僚国家の体制が形づくられてくるのである。
その傾向を推進する有力な原動力となったのは、支配者たちの蓄積的な積極的な大陸文化の輸入であった。
表現:
前方後円墳
4民族宗教としての祭り
持さい 祝詞 寿詞 水浴の記事 鹿の肩の骨を抜いて占ったという神話 祈年祭り 新嘗祭り 鎮守
5『古事記』『日本書紀』の伝える物語
『古事記』は、稗田阿礼が読み習っていた帝紀 旧辞を太安万侶が筆録したものである。
『日本書紀』は、舎人親王らによって編集された。
6造形美術
埴輪 土偶 古墳の副葬品 出雲大社 伊勢神宮
三 律令社会の文化
1律令機構の成立
➀蘇我馬子 聖徳太子 冠位十二階
➁遣隋使の派遣 小野妹子
➂浄御原律令 大宝律令 養老律令の編纂
➃班田収授法
2大陸精神文化の輸入
律令国家の計画の端緒を開いた聖徳太子の時代から、八世紀半ばの聖武天皇のころまでの律令時代前半期の仏教文化を検討して、この時代の文化の性格を考えてみようと思う。
➀文字の伝来
➁五経博士 仏像
➂冠位十二階 憲法十七条のある思想
➃仏教
➄唐代の一切経がほとんど全部日本に舶載された。
➅大陸伝来の六つの学派:
三論 法相 倶舎 成実 律 華厳
3飛鳥、白鳳、天平の仏教芸術
飛鳥文化:
天皇家や蘇我氏が仏教を信仰したので、朝廷のあった飛鳥を中心に、仏教に関係の深い文化が栄えた。
これを飛鳥文化という。
建築
法隆寺金堂 五重塔 中門 回廊
彫刻
(金銅像)飛鳥寺釈迦如来像
法隆寺金堂釈迦三尊像
(木像) 法隆寺百済観音像
法隆寺夢殿救世観音像
中宮寺半跏思惟像(弥勒菩薩)
広隆寺半跏思惟像(弥勒菩薩)
絵画
法隆寺玉虫厨子須彌座絵
工芸
法隆寺玉虫厨子 中宮寺天寿国繍帳
白鳳文化:
7世紀後半には律令国家建設の意欲がみなぎる文化が展開した。
これを白鳳文化という。
建築
薬師寺東塔
彫刻
薬師寺金堂薬師三尊像(天平期の作品とする説もある)
薬師寺東院堂観音像
興福寺仏頭
絵画
法隆寺金堂壁画 (1949年焼損)
高松塚古墳壁画 紙淀廃寺跡出土壁画
天平文化:
奈良時代の文化は天平文化と呼ばれる。
建築
東大寺法華堂 正倉院
唐招提寺金堂 講堂 法隆寺夢殿
彫刻
(乾漆像)東大寺法華堂不空絹索観音像
興福寺阿修羅像
唐招提寺鑑真像
(塑像) 東大寺法華堂執金剛神像
東大寺戒壇院四天王像
東大寺法華堂日光 月光菩薩像
絵画
正倉院鳥毛立女屏風 薬師寺吉祥天像
工芸
正倉院宝物
5平安初期の文化
弘仁•貞観文化:
平安初期には、晩唐文化の影響をうけ密教的色彩の濃い貴族文化が起こった。
この文化を、最盛期の嵯峨•清和天皇時代の年号にちなんで弘仁•貞観文化と呼ぶ。
最澄
天台宗
比叡山
延暦寺
空海
真言宗
高野山
金剛峰寺
建築
彫刻
室生寺金堂薬師如来像
室生寺弥勒釈迦如来像
神護寺金堂薬師如来像
観心寺如意輪観音像
元興寺薬師如来像
絵画
神護寺両界曼荼羅
東寺両界曼荼羅
園城寺不動明王像(黄不動)
書道
風信帖(空海の書)
漢詩
凌雲集 経国集 文華秀麗集 性霊集
四 貴族社会の文化
1貴族社会の特色
➀律令機構にあっては、貴族もまた官僚としての一面を有し、政治に対する自覚を持つとともに、官僚として、政治を通じて人民になにほどか接触することで、弥生時代以来保たれてきた豪族と農民との共通の生活的要素をなお保持できた。
➁貴族政治の時代になると、貴族の官僚としての自覚はほとんど失われ、実際の政務は下級の官人にゆだねられて、貴族は年中行事となった官職の任免や儀式や遊宴を催行するほかにしごとらししごとがなくなってしまい、人民大衆との現実のつながりはその角度からも失われていった。
➂貴族の政治的、経済的基盤である地方の農村との関係においても、地方政治は赴任する地方官や在地の官人に、荘園の管理を同様に在地の領主または荘官に掌握させて、収益の何分かを都にいながらにして徴収するのみの、名目上の最高権利者であるに過ぎなかったから、この点においても、農村との結びつきは実質的にたちきられてしまったのである。
2物語文芸の発達
➀平仮名と片仮名の出現
➁和歌集:
『古今集』 『古今和歌集』 『後撰集』 『拾遺集』
『後拾遺集』 『金葉集』 『詞華集』 『千載集』
➂物語:
『源氏物語』 『竹取物語』 『落窪物語』
『宇津保物語』 『伊勢物語』
➃日記:
『土佐日記』 『蜻蛉日記』 『更級日記』
3絵巻物の発達
源氏物語絵巻(藤原隆能) 信貴山縁起絵巻 年中行事絵巻
鳥獣戯画 (伝鳥羽僧正) 伴大納言絵巻 厳島神社平家納経
4貴族文化の地方と海外への進出
貴族文化の地方への浸透と合わせて、今ひとつ特筆大書しなければならないのは、この時代に入り、大陸文化の直輸入様式から脱却して日本的独立性を獲得するにいたったこの時代のわが文化が、いまや主客所をかえて大陸に向かって輸出されるにいたったことである。
たとえば:
扇、大和絵などがあります。
5都会と農村の生活文化
豆知識:
唐衣 裳 直衣 狩衣 直垂
五 封建社会成長期の文化
1武士の勃興とその歴史的意義
武士の勃興:
➀武士は在地の豪農である名主層の中から出てきた新興勢力であって、武士の勃興とはとりもなおさず農民大衆の間で培われた下からの勢力が、弥生時代以来ほぼ連続的に支配権力を握り続けてきた古代国家の支配階級に取って代わろうとする、革命的変革の進行を意味するものにほかならなかった。
➁在地の地主としての武士は、農業経営という現実の基盤の上にしっかり足を踏み閉めていた。
天皇機構の内部で、成長を遂げねばならぬ運命のもとに生まれた武士は、、天皇制国家から追捕使、押領使に任命されたり、藤原氏の家人となったり、一応支配階級に従属する形式を踏まなければならなかった。
平氏とか源氏とかの貴族出身の家柄の武将を棟梁として上にいただ必要もあったのである。
➂彼らの実力を支えるものは、そうした上層との関係よりは、まず第一に土地との結合であり、次には主従の契約という、より低い社会層との人間的結びつきだったのである。
このように下からの力を原動力としていたからこそ、やがて古代国家の支配者の地位を完全に覆し、新しい封建社会を作りだすことに成功したのであるといわなければならない。
歴史的意義:
武士政治の開始という出来事も、公家(古代国家の貴族とその子孫)•武家の二元的支配の開始を意味するに過ぎなかったのである。
文化史上でも、古い伝統的文化と新興文化との二元的対立が成立した。
そして次第に後者の優勢化に伴って前者の衰滅へ傾いていくのが、この時代の基本的な動向であったといえるであろう。
豆知識:
保元の乱 平治の乱
2武者の習の成立とその文芸的把握
➀御恩 奉公 譜代
➁軍記物:
保元物語 平治物語 平家物語
➂琵琶法師
3新仏教の成立
新仏教の宗派
宗派
開祖
特色
中心寺院
浄土宗
法然
専修念仏によって極楽往生できると説く
知恩院(京都)
浄土真宗(一向宗)
親鸞
信心を持って念仏を唱えれば極楽往生できることや、悪人正機説を説く。
本願寺(京都)
時宗
一遍
信心の有無、身分に関係なく、念仏によって極楽往生できると説く。
踊念仏を広めた。
清浄光寺
(神奈川)
法華宗
日蓮
題目を唱えることによって成仏できると説く
久遠寺(山梨)
臨済宗
栄西
座禅しながら公案と呼ばれる問題を解く
建仁寺(京都)
曹洞宗
道元
ひたすら座禅することによって、悟りを開く
永平寺(福井)
4理論的な著作の出現
➀歌論
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