日语本科毕业论文模板.docx
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日语本科毕业论文模板
日语专业本科学位论文
格式手册
南京晓庄学院外国语学院
2009-06
日语专业本科学位论文格式要求
1.总则
(1)语言:
论文用日语撰写。
封面、声明、文内作者、摘要、参考文献可以用汉语;文内例句若需要中日对照,也可以用汉语。
(2)长度:
正文5000~8000日语印刷符号(不含目录、摘要、参考文献)。
(3)打印:
❶论文采用A4号纸,单面打印。
❷页面设置:
页边距为左3.2厘米,上、下、右各2.5厘米。
❸页码:
从正文起计第一页,用阿拉伯数字,页底居中。
其它不需页码。
2.组成部分:
(1)论文封面:
❶中文标题:
黑体、加粗、小二号、居中.
❷日语标题:
MSMincho字体、小二号、加粗、居中。
❸中日语标题区域上下共占八行(含空行),由于各论文标题行数不同,请自行控制空行的数量,一切以美观大方为准。
封面其它部分位置请勿变更.
❹实际操作中,可直接拷贝模板,替换其中的标题、姓名、学号等项目。
(2)学位论文独创性声明:
❶标题:
小二号、宋体、加粗。
❷内容四号宋体(内容见模板)。
(3)日文「要旨」、中文“摘要"与关键词
❶标题行:
MSMincho(汉语宋体)、三号、加粗、居中。
❷正文:
MSMincho(汉语宋体),小四号。
整页均为1.5倍行距.“摘要”与“关键词”加粗。
❸日文摘要500~800日文印刷符号,中文摘要300~500字。
❹关键词3~5个。
日汉摘要、关键词内容要对应。
(4)目录页:
❶“目次”标题行:
MSMincho,三号、加粗、居中.
❷正文:
MSMincho,小四号、左顶格。
次层次比上一层次退后两空格.
❸整页均为1.5倍行距;标题空行处理请参见模板.
(5)正文内的日语大标题:
❶大标题前空两行,后空一行,均为五号空行。
❷大标题格式:
MSMincho,三号、加粗、居中。
(6)正文内容:
❶结构层次:
正文分为章、节、小节。
章的编号:
1。
2.,3。
,…;节的编号:
1.1,1。
2…,2.1,2.2…;小节的编号:
1。
1。
1,1。
1.2…。
若小节以下还需分出层次,采用(i),(ii),(iii)标识。
❷章与章之间、节与节之间空一行,但小节及小节以下层次间不空行。
连续性标题也不空行。
❸小标题(章、节、小节):
左顶格、MSMincho、小四、加粗.单独成行,无结尾标点。
❹正文文字:
MSMincho、五号、行距固定值20磅。
(7)注:
采用尾注。
正文里的引文及需要说明处的末尾写明注的序号:
“(注1)、(注2)",依次写上注的内容。
❶“注”标题行:
MSMincho、小四号、加粗、居中。
❷注的内容,汉语用楷体、五号,日语用MSMincho、五号、单倍行距。
(8)参考文献:
❶“参考文献”(使用专页、左顶格)标题行:
MSMincho、四号、加粗、居中。
❷文献项目:
MSMincho(汉语宋体)、五号、单倍行距。
❸参考文献类别以单字母方式标识:
专著[M]、译著[M]、期刊文章[J]、报刊文章[N]、论文集[C](析出文献用[A])、学位论文[D]、报告[R]、标准[S]、网络文献[Z]加(http:
//―――)。
❹参考文献按在正文中出现的先后次序列表于文后。
参考文献的序号左顶格,并用数字加方括号表示,如[1]、[2]、…,
a、专著、论文集、学位论文、报告
[序号]主要责任者・文献题名・[文献类型标识]・出版地・出版者・出版年・起止页码
b、期刊文章
[序号]主要责任者・文献题名・[J]・刊名・年・卷(期)・起止页码
c、论文集中的析出文献
[序号]析出文献主要责任者・析出文献题名・[A]・原文献主要责任者(任选)・原文献题名・[C]・出版地・出版者・出版年・析出文献起止页码
d、报纸文章
[序号]主要责任者・文献题名・[N]・报纸名・出版日期・(版次)
e、电子文献
[序号]主要责任者・电子文献题名・[Z].电子文献的出处或可获得地址(http:
//www.cajcd。
edu。
cn/)・发表或更新日期、引用日期(任选)2010―01-01
f、各种未定义类型的文献
[序号]主要责任者・文献题名・[Z]・出版地・出版者・出版年
(9)謝辞:
❶“謝辞”行:
MSMincho,三号、加粗、居中。
❷正文:
MSMincho,小四号。
整页均为1。
5倍行距。
3其它说明:
❶引文、夹注、表格等以模板中具体例子说明,格式请参见模板内的脚注。
❷本手册对各类标题的字体、字号作了详尽说明,仅作资料备用,学生不必记忆。
在实际操作中,可直接使用WORD中的格式刷.
4附录(论文模板)
分类号:
学校代码:
11460
学号:
0640200
南京晓庄学院
本科生学士学位论文
中国茶文化与日本茶道的联系
中国茶文化と日本茶道のつながり
所在院(系):
外国语学院
学生:
方园
指导老师:
莫文水
研究起止日期:
2009年9月至2010年3月
二○一○年三月
学位论文独创性声明
本人郑重声明:
本论文是本人在导师指导下独立从事研究所取得的成果。
文中除以参引或注释形式标明出处者外,不含任何其他个人或机构已发表或未发表的著述或研究结果。
对本文的研究做出贡献的个人和机构,均已在“致谢”中加以说明。
本人完全了解,违反上述声明所引起的一切法律责任将由本人承担。
本人签名_______________
年月日
要 旨
茶道は中国から日本へ伝えられ、日本の伝統文化と結びついて、日本民族の独特な気質と風格が備わった。
茶道は日本の宗教、芸術、哲学、社会、美学、礼儀、倫理と融合して、総合的な文化となり、日本文化の中でとても重要な地位を占めている。
茶道についての研究は日本研究のとても重要な分野である。
茶道は世界東方の二つの民族の文化交流の結晶で、東方文化の特質をもっている。
そのうえ、茶道の研究は東洋文化についての研究と離れられない。
本稿は日中茶文化の交流過程、茶道の変遷及び現実生活の中での意義を探求したい。
今までの方人々の研究成果を踏まえて、①茶の起源と茶道の発展、②日本茶道、③儒教、道教、仏教と茶道、④現代茶道の意義などを研究した。
茶は薬用、祭祀、食用、飲用から一種の文化となり、物質形態の中から精神の高度を昇華して、中国の儒、道、仏の各派の思想を取込んで、独特な文化茶道となった。
各時代の文人や庶民は茶を飲んで、茶道を提唱していた.
中国の茶は「唐の時代に巻起こって、宋の時代に繁盛する」.この二つの時代は、日本留学僧の派遣の最盛期で、日本茶道が誕生から大成まで中国文化の影響を受けていると言われている.それゆえ、日本茶道は仏教のほかに、中国の儒教や道教の精神も含まれている.日本茶道の「和、敬、清、寂」は中国茶道の「和、静、怡、真」と共通している。
中国茶道にしても日本茶道にしても環境の静寂と調和、心の開放と精神の昇華を追求している。
よって、茶は人間の生理の需要を満足するほかに、人間の心理的な需要を満足することもできる。
現在の社会効用は以下とされている。
①情操を陶冶する。
②人間関係を調和する。
③社会気風を浄化する。
これらはいま茶道についての研究が流行ってきた原因である。
茶道を提唱し、これによってそれを発揚して広げにすべきである。
キーワード:
茶道 伝統 和敬清寂 禅 文化
摘 要
茶道自中国传入日本,与日本的传统文化相互融合从而具有了日本民族独有的气质和韵味.它与日本的宗教、艺术、社会、哲学、美术、伦理、礼仪溶为一体,从而行成了一门综合性的文化,在日本文化中占据着十分重要的地位。
对于茶道的研究一直是日本文化研究的一个重要领域。
对于茶道的研究离不开对对东方文化的研究,茶道是世界东方两个民族文化融合的结晶,具有东方文化的特质。
本文旨在研究中日茶文化交流的过程,茶道的变迁以及它在现实生活中的意义。
在前人研究的基础上通过对茶的起源以及茶道的发展;儒教、道教、佛教对茶道的影响;中国历代对日本茶道的影响。
茶起源于中国,从药用、祭祀、食用到饮用,最终成为一门文化,从物质形态升华出精神内涵,融合了中国儒教、道教、佛教诸派思想独成一体,历代文人墨客,庶民百姓饮之颂之,留下了中国古代文化、政治、经济的烙印,并对中国社会发展产生重要影响。
中国茶兴于唐而盛于宋,在这两个朝代日本均有大量留学僧来中国学习,可以说日本茶道从产生到大成都受到中国文化的影响,因此也蕴涵有中国儒家和道教的思想。
日本茶道的“和、敬、清、寂”和中国茶道的“廉、美、和、静”有共通之处.
不论是中国茶道还是日本茶道都追求环境的清寂与和谐,人心灵的解脱与精神的升华,因此茶除了满足人们的生理饮用的功能之外,还能满足人的心理需要。
其功能大体归纳为:
一、陶冶情操;二、调节人际关系;三、净化社会风气。
笔者认为这就是茶道研究一直盛行的原因,现在应该大力提倡茶道,从而使其发扬光大。
关键词:
茶道,传统,和静清寂,禅,文化
目次
1.はじめに。
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1.1文化と茶文化の定義について
1。
2研究の目的と意義
2。
先行研究と問題提起。
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2.1先行研究
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2問題提起
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研究方法と資料収集。
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3。
1資料収集
3。
2研究方法
4。
茶の起源と茶文化の発展....。
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4.1茶の起源
4。
2茶文化の発展
5。
日本の茶道5
5。
1唐代と谴唐使
5。
2宋代と栄西
5。
3宋代闘茶の輸入と茶道の普及
5.4唐物と书院茶
5。
5 寂茶と村田珠光
5.6 千利休と茶道大成
6.儒教、道教、仏教と茶道10
6。
1 道教と茶道
6。
2 儒教と茶道
6.3 仏教(禅)と茶道
7.結論13
8.おわりに15
参考文献。
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中国茶文化と日本茶道のつながり
1.はじめに
1。
1文化と茶文化の定義について
文化は人間の生活様式の全体である。
人類がみずからの手で築き上げてきた有形・無形の成果の総体である。
それぞれの民族・地域・社会に固有の文化があり、学習によって伝習されるとともに、相互の交流によって発展してきた。
そのうち、特に、哲学・芸術・科学・宗教などの精神的活動、およびその所産である。
文化は人類によって創造するとともに人類と社会の発展を進んでいる。
茶文化の定義について先学の大家たちはそれぞれ独自な定義を下しているが、その中に代表的な論述をまとめて、次のようになる.茶文化は茶を担体として諸般の文化を伝え、茶と文化有機融和で、一定の時期の物質文明と精神文明を含んで体現することである。
茶道は茶文化を直接に表現するの形式の一つである.今の茶道は茶の湯によって精神を修養し礼法を究める道である。
鎌倉時代の禅寺での喫茶の儀礼を起源として、室町時代の村田珠光に始まり、武野紹鴎を経て千利休が大成、侘茶として広まった。
利休後は表千家・裏千家・武者小路千家の三千家に分かれ、ほかに多くの流派がある.
1.2研究の目的と意義
茶道は中国から日本へ伝えられ、日本伝統文化の代表として、中国と日本両国の文化の特徴をもっている.だから、茶道は日中交流の結晶や証明とも言われている。
今の日中関係は時々困境に陥っている。
中日両国の国情は異なり、異なる見解があるのは当たり前だとされている.しかし、交流が足りないのも一つの重要な原因である.日本の文化を理解することができなければ日本語を勉強するや日中交流の時もうまく行くはずがないであろう。
茶道について研究することによって、日本との文化理解を促進することに大きな意味を持っていると思う。
これは生理的茶の効用である。
日常生活の中では、いろいろなものに惑わされたり、他のものに合わせて、自分を曲げている。
そして、そこでは自分を守るためにいろいろな余分な着物をどんどん重ね着してしまう.茶道と言うものによってそのような無駄なものをすべて捨てて、本当に素の自分に戻る。
今の物質化世界には、競争が激烈になり、人心はそわそわしていて、心理は衡を失うことが容易になり、人脈は緊張に赴いた。
茶道の精神「和、敬、清、寂」などは今の世界に必要なものがつめられている.だから茶道を提唱して、もっとも調和な社会を築くべきである.今の世界で、茶道の意義を探求したい。
2。
先行研究と問題提起
2。
1先行研究
中国は茶の木を最も早く発見し、利用した国であり、お茶の祖国とも言われている。
文字の記載が示しているように、中国の人たちの祖先は3000余年前に茶の木を栽培し、利用するようになった。
しかし、いかなる種の起源と同じように、お茶の起源と存在は必然的に人類が茶の木を発見、それを利用する前からあったことであり、長い歳月を経て、発見、利用されるようになったのである.人類がお茶を利用するようになった経験は、代々伝えられることによって、一部の地域からだんだんと他の地域へ広がっていった。
お茶は中国から日本へ、6世紀に伝えられた.そして、9世紀に上流階級の間で、お茶が、一般的だったとされていた.14世紀お茶と武家社会は、結びついて、茶寄会いという遊びかたが流行。
1326年茶礼が日常飲食儀礼として用いられた。
お茶は日本の伝統と仏教のことに結びついて、日本の茶道が創造された。
日本の生活文化と深い関わりを持つ、独自の様式がもっている。
茶道は、中国で生まれ日本で花開き実を結んだ、優れた生活文化である。
茶道の語が文献に初めて現れるのは唐代であるが、すでに唐代に於いて、茶道は単なる飲茶習俗の域から脱した高度な精神文化であった。
唐の時代、陸羽の『茶経』がその事を輝かしく証明している.鎌倉時代の初め、日本に禅宗(臨済宗)を広めた栄西は、「茶の効用」を説いた人としても知られている。
2.2問題提起
茶道の本になっている喫茶は、日常茶飯事という言葉がいみじくも示しているように、日常生活に中で繰り返される、ごくありふれた営みである。
そのありふれた営みを媒介として成立した茶道は、超俗のままで日常生活に密着した文化である.それには哲学、宗教、美学、建築、工芸、料理、礼法などを含んでおり、実に総合性の文化芸術活動といっても過言ではない。
茶道とは、物質的な享受ばかりではなく、茶会を通して、茶礼を勉強し、品性を陶冶し、審美観と道徳観念を養成することができる。
この十数年茶道についての研究は盛行している、茶道だけを研究するのは多いが、日中両国の間の関係を含めて、日中交流をの歴史の流れの中で茶道を置いて研究することは少ないだ。
茶道の精神は広くて深い、内容は広範で、形式は多様である.今まで茶道についての定義がいろいろあるけど、違い角度で見ると結論がちがう。
小論では、茶の日本での成長発展の過程を研究しながら、茶文化の日本へ伝えると成長の歴史、茶道大家の背景及び茶道の精神本質のあらわしなどの方面から中国は日本茶文化への影響について考えたい。
3。
研究方法と資料収集
3.1 資料収集
本研究は、先生方からのご指導と関係者の協力の上、さらに図書館、本屋とインターネットを利用し、茶文化,茶道等についての資料を集める。
茶道の歴史、人物、発展に関する資料や論文を検索し、その正しさを確認した上で採用する。
3。
2 研究方法
いろいろな茶文化についての文献を読んで茶文化についての資料を収集して、自分の目的によってその資料、観点、結論を選択的に採用する.
その資料に基づいて、茶文化の起源、発展、伝えの歴史を見つけて、日中両国茶文化についての交流、日本茶道は中国の伝統文化とのかかわりなどを研究したい。
さらに、茶文化の社会意義について探求したい。
4。
茶の起源と茶道の発展
4.1茶の起源
「茶之為飲,発乎神農氏」陸羽の『茶経』にそうのべている。
紀元前2700年頃の事、中国古伝説中の帝王であった炎帝神農は医術の神と言われ、人々に火の使い方や、食べ物の採り方などを教えた.ある日この神農が釜で水を沸かしていたところ、数枚の木の葉が釜に入り、これを一緒に煮出すと香り良く、水色も美しく、さらに飲むと味も良いので、人々にこれを教えた。
実は、これが茶の葉であったと言われている。
茶に関する最古の資料として、前漢の宣帝の時代の王褒が奴隷売買の契約書を基に著した「僮約(前59年)」という書物に、「武陽買荼(武陽で荼を買いなさい)」、「烹荼尽具(荼を煮る道具を整頓しなさい)」といった記載があり、後漢の頃には曹操の従医も務めた名医華佗も『食経』中で、やはり茶の薬効を謳っている。
茶樹の起源に関しては近年科学的な研究の進歩から、大体その起源となった土地は割り出されている.以前は茶樹の起源に関してはアッサム起源説が有力だった時期もあるようだが、現在ではほぼ中国をその発祥の地とすることにほぼ異論はないようである.そういった中で橋本実氏はおおよそ茶樹の起源の中心地を雲南・四川に特定している.(橋本実著『茶の起源を探る』淡交社)
中国は茶の木の原産地であるが、しかし、中国のこの面における人類に対する貢献は、主に最も早くお茶という植物を発見し、それを利用し、それを中国、アジア及び全世界で輝く独特な茶の文化に発展させたことにある。
中国は茶の呼称、お茶についての知識、茶の木の栽培、加工技術を世界に伝えたのであり、世界各国の茶は、直接あるいは間接に、中国の茶とつながりがある。
4.2茶文化の発展
三国以前茶文化は啓蒙する。
茶は物質形式として他の人文科学にしみ込んで、それで茶文化を形成することが出現していた。
晋代、南北朝茶文化の萌芽。
文士は飲茶ことが勃興につれて、茶に関連した詩詞歌賦も多く出て、茶はすでに一般的形態とした
唐代の茶文化の形成。
780年陸羽は「茶経」を著したことは、唐代の茶文化形成のシンボルである。
それは茶の自然と人文科学の二重性を含めて、飲茶芸術を研究して、儒、道、仏を飲茶中に入って、中国茶道精神を創造していた。
唐代の茶文化の成形は禅の勃興と関連している、寺院は飲茶を提唱、寺周囲に茶の木を植え、茶の礼を制定して、茶の堂を設けて、茶の端を選んで、専ら茶の活動を行う.
宋代茶文化の栄え。
宋代の茶には大きい発展がすでにあって、茶文化の発展を推進して、文士中出に専門飲茶社会団体を顕わしている。
役人組成した「スープ社」が、仏教徒の「幹人社」など。
宋太祖は特にちゃを好んで、宮廷に茶の機関を設立する。
茶は貴重品として国外使節に与賜う.つきましては下層社会、茶文化はさらに活発で、民間の斗の茶の風は起きて、お茶を煮る、採集、加工などいろいろな変化が起きた.
明、茶文化の普及.茶の類の増加、お茶を入れた芸事は以前と違って、茶器の様式、素地、紋様はおおくなっている。
清朝茶の輸出は正式な業界に発展して、茶書、茶仕え、茶詩は数え切れない。
茶道は、中国で生まれ日本で花開き実を結んだ、優れた生活文化である。
茶道の語が文献に初めて現れるのは唐代であるが、すでに唐代に於いて、茶道は単なる飲茶習俗の域から脱した高度な精神文化であった。
陸羽の『茶経』がその事を輝かしく証明している.やがて茶道は日本に伝来し、日本の文化的伝統と結合して新たな展開をとげ、深遠な哲理と豊かな芸術表現とを併せ具えた綜合的文化体系として大成された。
時代の変遷につれて、大陸茶文化の新しい形式は次第に日本茶文化に連動していた。
日本茶文化の発展は中国大陸茶文化の発展によって、発展してきたといっても過言でもない。
茶聖、千利休の生涯は、茶道の歴史の中で語るより、日本の歴史の中で語られるべきものである。
生涯を通じわび茶を改革し、茶道を天下のものとしたのみならず、その卓越した美意識は茶道を越えて後世の美術に影響を与え、日本の陶芸や工芸の発達に大きく貢献した。
日本茶道史の第一時期には、現在の茶道の形式をとっていなかった。
喫茶はただ天皇、貴族、高級僧侶などの上層社会が唐風先進文化を模倣した風雅的なことにすぎない。
第二時期の初期に入り、寺院茶、書院茶、闘茶を経て、茶文化の内容はだんだん豊富になってきた.中国の茶道の栄えの影響によって、その上に、日本芸道成立の影響を受けて、日本茶道の草創期を完成した.
5.日本の茶道
倉澤(1992)は『日本茶道文化概論』の序文に次のように述べている。
茶道は、中国で生まれ日本で花開き実を結んだ、優れた生活文化である。
茶道の語が文献に初めて現れるのは唐代であるが、すでに唐代に於いて、茶道は単なる飲茶習俗の域から脱した高度な精神文化であった.陸羽の『茶経』がその事を輝かしく証明している。
やがて茶道は日本に伝来し、日本の文化的伝統と結合して新たな展開をとげ、深遠な哲理と豊かな芸術表現とを併せ具えた綜合的文化体系として大成された。
時代の変遷につれて、大陸茶文化の新しい形式は次第に日本茶文化に連動していた。
日本茶文化の発展は中国大陸茶文化の発展によって、発展してきたといっても過言でもない。
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1 唐代と遣唐使
唐代中国の茶道が形成の時期で、日本から多くの遣唐使が中国へ派遣された。
いつ茶が最初に日本へ伝わったのかは定かではないが、奈良時代には遣唐使や中国から日本へいくの僧侶が茶を伝えられたと考えられてる.日本で茶について、文献に登場する最初の出来事は、天平元年(729年)に聖武天皇がおこなった行茶の儀である。
一条兼良の『古事根源』や大典禅師の『茶経詳説』には、天皇が宮中に僧侶を召して般若経を講読せしめ,二日目に茶を賜ったとの記載されている。
この茶が唐から輸入された団茶であったと言われている。
平安時代に入り、806年に弘法大師空海が中国から茶種を持ち帰るという謂れ(「弘法大師年譜」)がある。
平安時代にはいつでも中国一辺倒の時代思潮は相変わらず、多くの留学生や留学僧を中国に送り込むのであったが、最澄や空海もこのような時期に留学した。
これらの使節、留学生、留学僧といった最も知識欲に満ちた人々に、当時の中国の喫茶の風習は大きな感銘を与えたようである。
だから、それらの人々が日本喫茶歴史への貢献もいうまでもない。
よく知られた坂本の日吉茶園には、最澄が天台山から茶の実をもってかえって植えたといい、日本最古の茶園だという『日吉茶園の碑』が現在も立っておる.
この時代は日本茶文化の啓蒙だと思う.
5。
2 宋代と栄西
平安時代末期から鎌倉時代になると、日本と中国の国交が再開
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