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013装饰の性早见秋
装飾の性
Adecoratedsexuality
早見 秋
第一章
幼児から、私は、奇怪な幻想を抱いていた。
それが悉く、何かをすることではなく、されることばかりであった。
しかも、自分への行為は、おおかた異性によってなされた。
私は、しかし、母を慕わなかった。
記憶のどこを捜しても、母に抱かれたいと思った経験は一つとして見当たらなかった。
母性思慕など想像の外であった。
そうして、それと裏腹に、幼年期の記憶の処々には名状しがたい奇妙な幻想が挿入された。
私は、昭和四十四年の秋、静岡に生まれた。
出産の前夜、母は会社から帰宅する父をバス停に迎えに行く途中、自転車に乗ったまま道端の用水路に転落して大怪我をする有様だった。
時代も土地も意味が希薄で、それについて何も記すことがないのである。
ただ、アルバムに納められた一、二歳の頃のモノクロ写真を見ると、背後の町並が今よりは微かに燻んだ光景として映るだけである。
五歳になっていた。
混沌から目覚め、記憶がようやく点滅を開始した。
私は、真宗の寺院が営む近郊の小さな保育園に徒歩で通っていた。
水色の園児服を着た幼い一団は、自転車を引くうら若い保母に引率され、錯雑とした家並を縫う狭い路地を日々往来した。
梅雨の頃、薄墨色の雨空を限る黒い屋根瓦や煙った暗緑の木々、狭隘な径路、ところどころ剥げ落ち苔生したブロック塀、その傍に忘れられたように置かれた鉢植、路傍の溝涜、それら、目に映るすべてが霖雨にしっとり濡れ渡り、薄暗く陰っていた。
が、家々の狭い庭から、低い塀を、露の置いた薄青の紫陽花が数房、明るさを一点に吸収して今にも零れそうな鮮やかさで慎ましく咲き漏れ、暗然とした景色に明暗の均衡を辛くも保っていた。
家々の塀に、赤子の握拳ほどの丸い殻が幾つも付着し、貝殻のように見えたのは大きな三筋蝸牛であった。
私は、しばし立ち止まり、それら突飛な生を目も触れんばかりに眺め入り、好奇の眼ざしを注いだ。
それは、玲瓏たる宝石の輝きを放って見えた。
灰色のコンクリ-トに粘り着いた渦巻く薄茶色の殻は、廃墟と生命の不思議な対照で、幼い私を魅了した。
私は、遅れまいと、先を行く一団を追いかけた。
……
この頃、すでにある奇異な欲望が私に芽生え、それが捉えた一つの光景が脳裡にぼんやり残された。
それは本来、感動的であるべき最古の記憶にしてはあまりにも唐突で趣もなく前後の脈絡を欠いているため、かえって滑稽に思えたりするのだった。
その光景とは、保育園の教室の後壁に設けられた作り付けの小さな戸棚であった。
それはちょうど子供の腰の高さに備え付けられ、時代を帯びて黒光りした陳腐な物置用の棚で、戸を開くと園児が身を屈めてやっともぐり込めるほどの狭苦しい暗闇が、木目の浮き立った板壁に囲まれて薄暗く潜んでいた。
それが、私を、奇妙な誘惑に駆ったのだった。
何時とはなしに、私は、こう願っていた。
──『揺籃に入れられて、あの戸棚の中に閉じ込められたい』──
その願いは、確たる言葉を伴って発せられたものではなかった。
いつどのようにその願望を抱き始めたか、皆目記憶に残らなかった。
それでもなお、戸棚の暗がりが残像となって忘れがたく脳裡にとどまったのは、それを見るたびに、奇異な欲望が繰り返し意識されたからであった。
戸棚の中で、籐で編まれた・幌の付いたク-ハンのような籠に入れられた自分を想像したのだった。
園児のにぎやかな喚声に満ちた教室の中で、私はなんどと暗黒の空間を秘めた戸棚を、沈痛な眼ざしで眺めたのかも知れなかった。
誰が、自分を閉じ込めるのか。
私は、漠然と見慣れたわかい保母を想定していたのだろうか。
決して母でなかったことは確かであった。
いずれにせよ、執行者が誰であるかは附属的な問題であり、誘惑の核心を占める重要な事柄ではなかった。
何故なら、この欲望は、私を閉じ込める誰かではなく、私が閉じ込められること自体に重点が置かれていたからだ。
揺籃に入れられることを望んだ私は、嬰児の昔に帰ることを欲したのだろうか。
そうであるなら、物心つきかけた幼児が、無垢な赤子に戻りたいと望む願望の残滓が偏奇な欲求の芽生えに混入した特異な欲望であった。
この幻想は、殊に、寝しな独り布団にもぐると、私の脳裡に半ば反射的に現出されるのだった。
私は、身を竦め、褥中の幻想が夢に移し変えられることを祈った。
こうして私は、夜毎監禁される幻想を思い浮かべ、自らを慰撫し、寧らかな眠りに自分を誘った。
これが、私の初めて抱いた被拘束の欲望であった。
以後、この欲望は昂進し、保育園で午睡の時間が訪れると、私は布団の中に丸め込まれた自分を想像したりした。
やがて、監禁の場所も、戸棚から押し入れ、洋服箪笥、下駄箱、ダンボ-ル箱、ポリバケツ、冷蔵庫、大きなボストンバッグ、サンタクロ-スが担ぐような大袋、………と、その数を増していった。
幼児が身を竦め、隠れるのに適当なありとあらゆる密閉された空間が、私の奇異な欲望を誘発したのだった。
そうして、その中に押し込まれた自分を空想することに中毒的な悦びを覚えた。
狭い窮屈な暗闇だけが、私にとって不安のない居心地のよい場所に思われた。
殊に、巨きなものの一端に身を封じられ、決して人目に触れぬ絶体絶命の窮地が最も心に叶った状態であった。
例えば、寂れた巨大な倉庫に、堆く山積みにされた木箱の一個に自分が押し込まれ、頑丈な鉄の扉が締められてどうもがいても脱出が不可能な状況を想像することに言い知れぬ快味を覚えた。
誰かが、私を拘束する。
それが、心に嵌められた孤独の枷を解き外し、自由とともに不安をも私から奪う筈だった。
まして私は、自由など微塵も欲してはいなかった。
その心の装置は、押せばカチッと音を立てる機械仕掛の正確さがあるように思われた。
身の束縛と心の解放は、私の中で、逆説の一致を見ていた。
かくて、私の心は、自己の意識に附随する不安とそれを治癒せんとする被支配の欲求を兼ね備え、私を捉えつづけた被虐の教義が宿命的に嵌め込まれたのだった。
生来の被支配欲が、繋縛の幻想を私に植えつけたのだった。
そう言えば、私には、母胎に帰りたいと望む願望がなかった。
胎児に戻り、羊水に揺られ眠っていたい欲望がなかった。
そうして、暗闇に閉じ込められることをひたすら願っていたのだ。
後に『おしいれのぼうけん』という一冊の絵本が、幼年期の私にとって、唯一の愛読書となった。
物語の粗筋は、幼稚園での昼寝の時間に二人の園児が玩具のミニカ-を奪い合って教室の中を駆け回り、眠りに就こうとしていた他の園児を足で跨いだり腕を蹴飛ばしたりして危険な目に遭わせたため、罰として保母さんに押し入れに閉じ込められ、二人は夢の中で大冒険をして悪者のねずみばあさんを退治する、という私にとっては打ってつけの内容であった。
だが、この童話の圧巻である決死の大冒険は、さして私の興味を惹かなかった。
そのかわり、怒った保母さんが二人の園児の腕を捕まえ、押し入れに閉じ込める場面の挿絵だけが、作者の意図を超え、自分の奇異な欲望を異様に刺激した。
私は、独り部屋の中で、その一頁をそっと見開くたびに小さな胸の高鳴りを抑えかねたのだった。
幼年期の記憶──砂遊び、面子遊び、粘土細工、超合金のロボット、玩具の機関銃、椅子取りゲ-ム、小さな駄菓子屋、パンダの縫いぐるみ、テレビアニメのヒ-ロ-、近所の犬に親指を噛みつかれた痛み、保育園の運動会で仮装行列を見たときの哄笑、妖怪に追いかけられた悪夢の恐怖、弟の誕生、飼っていた紅雀が死んだ悲しみ、──それらは、多彩でありながら、その場限りの感情が附随した記憶の断片にすぎなかった。
だが、その一連の怪しい幻想はそれとは異質で、何か掴みどころのない淵のような記憶であった。
唯一、心奥から発し、後に尾を曳く妄執の予兆であった。
また、この頃、私は自分の生に幽かな疑念を抱くことがあった。
おそらく、母に手を曳かれ、私は雑踏の中を歩いていた。
その光景は、光りの中でうっすら白くかすんでいた。
周囲を目紛るしく人々が行き交い、その騒きが終始耳を離れなかった。
皆が、黒や茶色や鼠色といった地味な冬着を纏っていた。
だが、時折、赤や黄の鮮やかな色彩が目にちらついては消え去った。
それは、恐らく、神社の参道を行き交う初詣客の雑踏であった。
沿道には、軒下に青い幕を廻らした玉蜀黍や林檎飴を売る露店が軒を並べ、白い幟旗が風にはためいていたかも知れなかった。
私の眼にちらついた鮮やかな色は派手な振袖か、それとも、子供が手にしたゴム風船であったにちがいない。
私は、こうした慌ただしい人ごみの渦中に紛れ込むと、きまって、自分の生が不思議に思われるのだった。
なぜ自分がこうして生きているのか。
生そのものに、私は漠とした疑念を抱いていた。
たとえ一時にせよ、物心つきかけた子供がまず自分の生に純粋な疑念をもつのは、自然で順当な感情ではあるまいか。
その疑念は、殊に、デパ-トの食品売場や川原の花火大会や夜桜見物といった群衆の中で、その反作用によって、意識されるのが常であった。
どことなく晴れやかな・よそ行きの面持ちをした大人たちを、私は怪訝な顔つきで見上げ、常にこう思い、こう疑うのだった。
──万物の創造主が、あるとき私を精巧に仕組まれた人間界に解き放ち、行動の逐一を天上から注意深く観察している。
(私は、神による、その目的さえ明らかではない、神秘な実験の被験物であった)自分以外の人間は、悉く造物主の意思によって、寸分の狂いなく操られている。
だから、彼らの皮膚を一枚剥がせば、銀色に輝く眼も怪な・精緻で複雑な機械が零れんばかりに露出されるのではあるまいか。
──
私は、子供心にそう空想した。
そうして、陰で犯した悪戯や嘘言が、天罰となって、過たず私自身に報いられることを何よりも怖れた。
やがて、生への稚ない疑念も、私の意識が明らかになるにつれ、知らず識らずのうちに霧散していった。
………
監禁の願望は、数年に亘って私を捉え、小学校に入学する間近の冬の午後、遂に実行に移された。
私は、母が弟を連れて外出した隙に、一階の奥の小部屋にこっそり一人で忍び込んだのだった。
それは、ほとんど出入りのない日当たりの悪い四畳半であった。
飴色の衣装箪笥が、二、三台並べられ、その上には市松人形や様々な郷土人形が置かれていた。
父母の古着や季節外れの衣服がハンガ-に吊されて部屋を取り囲み、片隅には古風な鏡台も置かれていた。
そして、一方の壁には押し入れが備えられていた。
その一室は、何か神秘な異空間としてかねてから私を魅していた。
襖を開け、部屋に歩み入ると、異様な臭気が鼻腔を搏った。
衣服と防虫剤と箪笥の木の臭いが、息づまる異臭となって薄暗がりの中で混濁し澱んでいたのだった。
私は、濃厚な臭いに、むしろ自分を酔わせる蠱惑を感じた。
私は、すぐさま後ろに手をまわし、部屋の襖を閉じた。
私は、押し入れの前まで歩み寄った。
周りを見渡し、人気のないことをたしかめると、まるで秘蔵の宝物を覗くような期待で押し入れを静かに開けた。
すると、上段には来客用の布団が積み重ねられ、下段にはトタン製の収納箱のほか、針の停まった振り子時計や古い額縁や壊れた扇風機、真空管のラジオ、ガラスケ-スに入った日本人形、安物の陶器、といった不要の雑貨類が所狭く詰めこまれていた。
私は、収納箱と革製の角形鞄に挟まれたわずかな隙間を見いだした。
私は、鞄を無理に脇へ押し遣り、自分が入り込めるほどの隙間を拵えた。
そして、その間に、後ろから身を擦り入れるように押し込んだ。
鞄と収納箱が、小さな肩を左右から挟み込んだ。
私は、膝を抱え、頭がつかえぬよう首を竦めた。
そして、顎を膝頭に載せ、小さな体をなおのこと小さくして、何とか身を押し入れることができた。
準備はこれで完了した。
最後に、内側からたて縁に手をかけ、そっと物音も立てず襖を閉じた。
刹那、明かりは遮断され、周囲の薄闇は暗黒に一変した。
一点の光も洩れ入らぬ完全な闇と、身を刺すような、むしろ喧噪な沈黙が私を包み込んだ。
鼓動は、急激に高鳴った。
それは、おぼえず歓声を上げるような狂おしい心躍りではなかった。
胸の裡を、ゆっくり着実に充たしてゆく甘い快感であった。
冷ややかな闇の恐怖が体に沁み入り、それが言い知れぬ快さで胸を浸していった。
一寸の身じろぎもせず、両膝を抱いて私は蹲った。
これが、永く夢見た、閉じ込められた心持ちであると思った。
目を瞑り、息を潜め、微かな呼吸をつづけた。
私は、何も考えていなかった。
ただ、こうして独り、暗黒に身を潜めることが私を恍惚とさせた。
体が心から気化し、闇に溶け入り、自分が消えて無くなってしまえばよいと思った。
こうして私は、闇の沈黙と寒さと狭窄感にじっと耐えていた。
どれほど時間が経過したか、闇の中にあっては、一刻一刻が異様な正確さで感じられることから思ったより長時間ではなかったにちがいない。
しばらくして、私が襖を開け外に出ようとしたのは、体が痺れたからでも、ふと我に返り自分の気ちがいじみた愚行を悟ったためでもなかった。
これ以上の長い静止が、体を硬直させ、やがて自分を囲繞する無生物の固体と同質化し壊死していくような不気味な恐怖が私を襲ったからであった。
私は、襖を細目に開けた。
すると、意外にも、隙間から柔らかな微光が射し洩れ、私の体に一筋の光線が引かれた。
部屋は、いつしか薄明かりに充たされていた。
私は、やおら襖を開け放ち、光の源に目を遣った。
窓から、傾いた冬の西日が裸樹を織り込んだ山吹色のカ-テンを透かして射し入り、室内を濃密な橙黄色で染めていた。
漉された光に、うっすら黄色を帯びた部屋の畳は暮色の枯野を思わせた。
私は、身を動かそうとした。
が、しばらく身じろぎしなかった体は、金縛りのように動かなかった。
私は、床に手をつき、僅かずつ身を躄らせて押し入れの暗がりを抜け出した。
畳に坐ると、柔らかに射しこむ深黄色の光が頬を温かく染め上げた。
光は、箪笥の木目や衣服や琥珀色の聚楽壁を照らし、浮遊する微細な埃をも浮き立たせていた。
私は、夢見心地で、周囲をおもむろに見回した。
部屋が、色褪せた過去そのもののように思われた。
恍惚は、なお、身内を去らなかった。
ほとんど官能的な酔い心地が、私の内に棚引いていた。
黄昏の部屋に、私は無言で坐ったまま、しばし恍然と動かなかった。
……
以後、私の夢想は、すべてmasochisticな色彩を帯びることになった。
*
小学校に通い始めた。
正直すぎる私の体は、登校する間際になると、きまって拒否反応を示した。
ランドセルを背負い、運動靴を履こうとして玄関の式台に腰をおろすと、その瞬間、反射的な正確さで腹痛を愬え、私は、お腹を抱えてその場に蹲るのだった。
浸蝕作用にも似た陰湿な痛みは、以後十年に亘って恒常的に私を悩ましつづけた。
ある時は登校中に、ある時は授業中に、ある時は給食の直後に、掃除時間に、休み時間に、遠足の行先で、時と場所を選ばず突如として私に襲いかかった。
私は学校にいても、いつなんどき見舞うやも知れぬ腹痛の予感につねに怯えていなければならなかった。
そうして私は、明らかな病因を一度として自分に問いかけることもなかった。
小学四年、私は、その年から地元のスポ-ツ少年団でサッカ-を始めていた。
友達の皆が、三年のときからこぞって野球を始めていた。
クラスの英雄は、言うまでもなく、スポ-ツ万能の野球部のピッチャ-であった。
だが、プロ野球の選手を夢見ていた訳でもなかった私は、その年、学校に通う以外に何をすることもなく過ごしたため、一年後れで野球を始めるのも気が引け、さりとて何もスポ-ツをしないのも体によくないという親の意見で、四年から新設されたサッカ-部に入部したのだった。
土・日の練習や試合とともに、学校から帰宅すると一人で家のブロック塀にサッカ-ボ-ルを蹴り当てたり、ボ-ルリフティングをするのが私の日課となった。
だが、血を吐くようなスパルタ式の練習が悩みの種となった。
週末の練習日が近づくと、しだいに私は憂鬱な気分に沈むのだった。
ようやく、十歳になろうとしていた。
幼さの殻を破り、まだ気取りに染まらぬもっとも澄んだ一時期であった。
それは、濁った水がほんの一瞬透き通るようなふしぎな現象に似ていた。
一人の特権的な英雄、その取り巻き、喧嘩早い癇癪持ち、引っこみ思案、のろま、ぐず、……クラスでは純粋な個性が発露され、皆が曇りない個性そのものであった。
クラスの担任は、西裕子と言い、地元の教育大学を卒業してまだ二年のわかい丸顔の女教師であった。
豊かな頬に、大きな深い瞳をもっていた。
生徒にやたらと作文を奨め、私たちは、毎日、日記や詩を書いて提出しなければならなかった。
そこから、毎週優秀なものを選び、『あすなろ』と名づけた学級通信に載せるのだった。
私には、彼女が明るい希望にあふれた理想的な教師と映っていただけで、十歳の自分に、彼女の素顔を見いだすことはできなかった。
自分をおこりんぼと自称しながら、至極柔和で、彼女が激しく怒ったすがたを生徒は見たことがなかった。
だが、それでも、忘れ物をした生徒には、彼女からささやかな体刑が科せられた。
殊に、給食の折、机に敷くナフキンを忘れたり、月曜と木曜に週二回あった米飯給食のとき、箸を忘れたりすると、その生徒は西先生から両頬を両の掌で一度打たれるのが慣例となっていた。
掌が頬に当たる一瞬、ともすると柏手を打ったような「パチッ」という快音が教室に響くことから、生徒たちはそれを「面パッチ」と名づけて怖れながら面白がっていた。
たいてい、忘れ物をするのは、おっちょこちょいで常にクラスで道化役を演じる剽軽な男子生徒と決まっていた。
その生徒が、教師机にすわった西先生のところに行き、その旨を語り、彼女が立ち上がって生徒の頬を打つと、教室にその音が響いた。
すると、男子生徒が面白半分に嘲笑って囃し立てるのだった。
「○○○、またやられた!
」
「や-い、ざまあみろ!
」
その生徒は、顔を顰め、打たれた頬を両手でおさえ、いかにも自分の腑甲斐なさを苛立ち悲しむといった遣り場のない表情を浮かべて席にもどるのが常であった。
私はと言えば、初めこそ嘲笑に加わっていたが、数日に一度、あるいは毎日のようにそんな光景を眺めるにつれ、なぜか異様な動悸を禁じ得ぬようになっていた。
七月のことであった。
その日は、午後の五時間目に水泳の授業を控え、午前の授業中も、窓外のプ-ルから眩しげに響く歓声や、飛びこんだ折の水飛沫の音や、プ-ルに入ってよいことを合図する鐘の音に、皆の心がそわそわ浮き立ち落ち着かない日だった。
たまたまその日の給食時間、私は、ナフキンを忘れた一人の生徒が西先生からささやかな体罰を受けた光景を自分の席から異常な注視で眺めていた。
そのとき、胸の鼓動は、誘惑の自覚に転化した。
このとき、もう少しで繋がりかけていた誘惑の円環に一点が附加され、一つの意識された欲望として私の中で完成されたのだった。
頬を打たれることの快感が兆し、芽生えたのだった。
それは一瞬、私を酔わせるように訴えたが、すぐさま充たされぬ苦痛となって胸をしめつけた。
このときから、私は、「先生に一度頬を打たれたい」という被虐的誘惑に取り憑かれた。
以後私は、ナフキンを忘れ体刑を被った生徒を、羨ましげに眺めやるようになった。
皆の嘲笑の的が、私一人の羨望の的になったのだった。
日頃は、人並みの子供同様、陽気にふるまう私も、その誘惑が胸をよぎると、人がかわったように沈鬱な翳を瞳に宿し、口を閉ざして無言になるのだった。
そして、胸騒ぎが鎮まったあとには、悪意の滲んだ疲労の後味が残るのだった。
私は、きまって、子供にふさわしからぬ溜息を洩らした。
やがて、受苦の願望が昂じ、私はその願いを叶えるため、故意に忘れ物をする小さな企てを思いついた。
だが、思うだに胸がときめく秘密の計画は、私の気弱さが容易に実行に移させなかった。
朝、学校の支度をする段になると、私は誘惑に駆られながらも、教科書やドリルやノ-トと一緒に、ナフキンを周到にランドセルに詰めこむのだった。
だが、二学期が始まって一ヵ月ほどした十月のことであった。
その日の給食時間、二人の男子生徒がナフキンを忘れ、西先生から頬を打たれた。
常のように、他の男子生徒から嘲りの声が湧き起こった。
そのとき、それを見ていた私は、突然発作的な衝動に見舞われた。
何かのために、命を犠牲にしてやまない抗えぬ衝動であった。
何かを観念した敗北感さえ入り交じっていた。
先生に一度頬を打たれたい───たった、それだけのささやかな願望にすぎなかった。
だが、その誘惑に身をまかす一歩手前で、誘惑と自制の葛藤の高まりが命をも犠牲に捧げる決心を私に強いるのだった。
被虐の誘惑が、究極的には死への欲求を秘める以上、常に保身の自制が働くのは自衛の本能であった。
だが、もう私は、誘惑に逆らえなかった。
胸の中で、誘惑が制止の手をふり切った。
机の中からナフキンを取り出そうとした手をとめて、私は席を立った。
誘惑が、私を立たせたのではなかった。
誘惑にたえ、じっと見つめていることの苦痛が私に決意を促したのだった。
他の生徒は、四、五人のグル-プ毎に机を向かい合わせ、愉快な雑談に耽ったり、一人の生徒は椅子の上に立ち上がって、そのとき、スピ-カ-から流れていた闘牛士のリズミカルな音楽に合わせ、何かの物真似をしておどけたりしていた。
教室は、いつものにぎやかな騒がしい子供の声で満たされていた。
私は、その中を一人、西先生に向かって物に憑かれたように足を歩ませた。
胸から発する見えざる誘惑の糸が、無意識に私を彼女の前へと導いた。
彼女は、まだ教師机の前に立ち、椅子の上に立った生徒の向かって、
「○○君、お行儀がわるいわよ!
」
と、注意を与えていた。
期待と不安は、心で錯綜し、彼女に近づくにつれ心臓の鼓動は耐えがたいほどどきどき波打った。
私は、西先生の前に立った。
自分の目が、ちょうど彼女の胸の高さにあった。
私は、彼女を無言で見上げた。
誘惑に駆られ、自分を見失った私は、彼女を見つめる自分の瞳が嘆願の色を湛えていることにつゆほども気づいていなかった。
彼女は、突然立ち現れた私が何のために来たか分からず、「どうしたの?
」と、問いかけるような面もちで私を見おろした。
「設楽君もナフキンを忘れたの?
」
彼女が、私にそうたずねた。
私が頷くと、彼女は憎しみのないわざとつくったような不満げな表情で口先を尖らせた。
私の鼓動は、急激に速まった。
それまで、期待と不安は胸の裡で鬩ぎ合っていたが、いざ先生の前にひとり立つと、予期に反し、ややもすると不安が甘い期待を圧倒しかけていた。
他の生徒は、通常の光景として注意も払わず、喧噪なお喋りをつづけていた。
ふたたび私が先生を見上げたとき、快感の予感は跡かたもなく消え失せ、不安は恐怖に一変した。
それはまさしく、尋常極まりない怯え───小心な生徒が教師から罰を受ける瞬間に抱く憶病な恐怖であった。
誘惑に駆られ、誘惑に導かれて彼女の前に立った私は、ただ自分の誘惑をしか見ていなかった。
彼女は、私の誘惑とは関わりなく目の前に立っていた。
西先生が、両手を挙げた。
私は足が震え、もうその場から逃げ出そうとしていた。
なぜ自分が「先生から頬を打たれたい」などと変梃な衝動に駆られたのか、その疑念が脳裡をふとよぎった刹那であった。
彼女の両掌が、左右から同時に私の頬を打った。
瞼が、反射的に固く閉じられ、首が竦んだ。
手を鳴らしたような快音が間近で響いた。
西先生の掌が、一瞬私の頬をしっかり挟みこんだ。
痛みが、頬の表面を走った。
快感は微塵もな
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