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案ずるに、かれはこの数行の文章をかれ自身の履歴書の下書として書きはじめ、一、二行を書いているうちに、はや、かれの生涯の悪癖、含羞(がんしゅう)の火煙が、浅間山のそれのように突如、天をも焦(こ)がさむ勢にて噴出し、ために、「なあんてね」の韜晦(とうかい)の一語がひょいと顔を出さなければならぬ事態に立ちいたり、かれ日頃ご自慢の竜頭蛇尾の形に歪(ゆが)めて置いて筆を投げた、というようなふうである。
私は、かれの歿したる直後に、この数行の文章に接し、はっと凝視し、再読、三読、さらに持ち直して見つめたのだが、どうにも眼が曇って、ついには、歔欷(きょき)の波うねり、一字をも読む能わず、四つに折り畳んで、ふところへ、仕舞い込んだものであるが、内心、塩でもまれて焼き焦がされる思いであった。
残念、むねんの情であった。
若き兵士たり、それから数行の文章の奥底に潜んで在る不安、乃至(ないし)は、極度なる羞恥感、自意識の過重、或る一階級への義心の片鱗(へんりん)、これらは、すべて、銭湯のペンキ絵くらいに、徹頭徹尾、月並のものである。
私は、これより数段、巧みに言い表わされたる、これら諸感情に就(つ)いての絶叫もしくは、嗄(しわが)れた呟(つぶや)きを、阪東妻三郎の映画のタイトルの中に、いくつでも、いくつでも、発見できるつもりで居る。
殊にも、おのが貴族の血統を、何くわぬ顔して一こと書き加えていたという事実に就(つ)いては、全くもって、女子小人の虚飾。
さもしい真似をして呉れたものである。
けれども、その夜あんなに私をくやしがらせて、ついに声たてて泣かせてしまったものは、これら乱雑安易の文字ではなかった。
私はこの落書めいた一ひらの文反故(ふみほご)により、かれの、死ぬるきわまで一定職に就こう、就こうと五体に汗してあせっていたという動かせぬ、儼(げん)たる証拠に触れてしまったからである。
二、三の評論家に嘘の神様、道化の達人と、あるいはまともの尊敬を以て、あるいは軽い戯れの心を以て呼ばれていた、作家、笠井一の絶筆は、なんと、履歴書の下書であった。
私の眼に狂いはない。
かれの生涯の念願は、「人らしい人になりたい」という一事であった。
馬鹿な男ではないか。
一点にごらぬ清らかの生活を営み、友にも厚き好学の青年、創作に於いては秀抜の技量を有し、その日その日の暮しに困らぬほどの財産さえあったのに、サラリイマンを尊び、あこがれ、ついには恐れて、おのが知れる限りのサラリイマンに、阿諛(あゆ)、追従(ついしょう)、見るにしのびざるものがあったのである。
朝夕の電車には、サラリイマンがぎっしりと乗り込んでいるので、すまないやら、恥かしいやら、こわいやらにて眼のさきがまっくろになってしまって居づらくなり、つぎの駅で、すぐさま下車する、ゲエテにさも似た見ごとの顔を紙のように白ちゃけさせて、おどおど私に語って呉れたが、それから間もなく死んでしまった。
風(ふう)がわりの作家、笠井一の縊死(いし)は、やよいなかば、三面記事の片隅に咲いていた。
色様様(いろさまざま)の推察が捲き起ったのだけれども、そのことごとくが、はずれていた。
誰も知らない。
みやこ新聞社の就職試験に落第したから、死んだのである。
落第と、はっきり、きまった。
かれら夫婦ひと月ぶんの生活費、その前夜に田舎の長兄が送ってよこした九十円の小切手を、けさ早く持ち出し、白昼、ほろ酔いに酔って銀座を歩いていた。
老い疲れたる帝国大学生、袖口(そでぐち)ぼろぼろ、蚊の脛(すね)ほどに細長きズボン、鼠いろのスプリングを羽織って、不思議や、若き日のボオドレエルの肖像と瓜(うり)二つ。
破帽をあみだにかぶり直して歌舞伎座、一幕見席の入口に吸いこまれた。
舞台では菊五郎の権八が、したたるほどのみどり色の紋付を着て、赤い脚絆(きゃはん)、はたはたと手を打ち鳴らし、「雉(きじ)も泣かずば撃たれまいに」と呟(つぶや)いた。
嗚咽(おえつ)が出て出て、つづけて見ている勇気がなかった。
開演中お静かにお願い申します。
千も二千も色様様の人が居るのに、歌舞伎座は、森閑(しんかん)としていた。
そっと階段をおり、外へ出た。
巷(ちまた)には灯がついていた。
浅草に行きたく思った。
浅草に、ひさごやというししの肉を食べさせる安食堂があった。
きょうより四年まえに、ぼくが出世をしたならば、きっと、お嫁にもらってあげる、とその店の女中のうちで一ばんの新米(しんまい)、使いはしりをつとめていた眼のすずしい十五六歳の女の子に、そう言って元気をつけてやった。
その食堂には、大工や土方人足などがお客であって、角帽かぶった大学生はまったく珍らしかった様子で、この店だけは、いつ来ても大丈夫、六人の女中みんなが、あれこれとかまって呉(く)れた。
人からあなどりを受け、ぺしゃんこに踏みにじられ、ほうり出されたときには、書物を売り、きまって三円なにがしのお金をつくり、浅草の人ごみのなかへまじり込む。
その店のちょうし一本十三銭のお酒にかなり酔い、六人の女中さんときれいに遊んだ。
その六人の女中のうち、ひとり目立って貧しげな女の子に、声高く夫婦約束をしてやって、なおそのうえ、女の微笑するようないつわりごとを三つも四つも、あらわでなく誓ってやったものだから、女の子、しだいに大学生を力とたのんだ。
それから奇蹟があらわれた。
女の子、愛されているという確信を得たその夜から、めきめき器量をあげてしまった。
三年まえの春から夏まで、百日も経たぬうちに、女の、髪のかたちからして立派になり、思いなしか鼻さえ少したかくなった。
額(ひたい)も顎(あご)も両の手も、ほんのり色白くなったようで、お化粧が巧くなったのかも知れないが、大学生を狂わせてはずかしからぬ堂々の貫禄(かんろく)をそなえて来たのだ。
お金の有る夜は、いくらでも、いくらでも、その女のひとにだまされて、お金を無くする。
そうして、女のひとにだまされるということは、よろこばしいものだとつくづく思った。
女は、大学生から貰ったお金は一銭もわが身につけず、ほうばいの五人の女中にわけてやり、ばたばたと脛の蚊を団扇(うちわ)で追いはらって浅草まつりが近づいたころには、その食堂のかんばん娘になっていた。
神のせいではない。
人の力がヴィナスを創った。
女の子は、せわしくなるにつれて恩人の大学生からしだいに離れ、はなれた、とたんに大学生の姿も見えずなった。
大学生には困難の年月がはじまりかけていたのである。
その夜、歌舞伎座から、遁走(とんそう)して、まる一年ぶりのひさごやでお酒を呑みビールを呑みお酒を呑み、またビールを呑み、二十個ほどの五十銭銀貨を湯水の如くに消費した。
三年まえに、ここではっきりと約束しました。
ぼくは、出世をいたしました。
よい子だから、けさの新聞を持っておいで。
ほら、ね。
ぼくの写真が出ています。
これはね、ぼくの小説本の広告ですよ。
写真、べそかいてる?
そうかなあ。
微笑したところなんだがなあ。
約束、わすれた?
あ、ちょいと、ちょいと。
これは、新聞さがして持って来て呉れたお礼ですよ。
まったく気がるに、またも二、三円を乱費して、ふと姉を思い、荒っぽい嗚咽が、ぐしゃっと鼻にからんで来て、三十前後の新内(しんない)流しをつかまえ、かれにお酒をすすめたが、かれ、客の若さに油断して、ウイスキイがいいとぜいたく言った。
おや、これは、しっけい、しっけい。
若いお客は、気まえよく、あざむかれてやってウイスキイを一杯のませ、さらにそのうえ、何か食べたいものはないかと聞くのである。
新内いよいよ気をゆるし、頬杖ついて、茶わんむしがいいなと応え、黒眼鏡の奥の眼が、ちろちろ薄笑いして、いまは頗(すこぶ)る得意げであった。
さて、新内さん。
あなたというお人は、根からの芸人ではあるまい。
なにかしら自信ありげの態度じゃないか。
いずれは、ゆいしょ正しき煙管屋(きせるや)の若旦那。
三代つづいた鰹節(かつおぶし)問屋の末っ子。
ちがいますか?
くだんの新内、薄化粧の小さな顔をにゅっと近よせ、あたりはばかるひそひそ声で、米屋、米屋、と囁(ささや)いた。
そこへ久保田万太郎があらわれた。
その店の、十の電燈のうち七つ消されて、心細くなったころ、鼻赤き五十を越したくらいの商人が、まじめくさってはいって来て、女中みんなが、おや、兄さん、と一緒に叫んで腰を浮かせた。
立ちあがって、ちょっとかれに近づき、失礼いたします。
久保田先生ではございませんか。
私は、ことし帝大の文科を卒業いたします者で、少しは原稿も売れてまいりましたが、未だほとんど無名でございます。
これから、よろしく、教えて下さい。
直立不動の姿勢でもってそうお願いしてしまったので、商人、いいえ人違いですと鼻のさきで軽く掌を振る機会を失い、よし、ここは一番、そのくぼたとやらの先生に化けてやろうと、悪事の腹を据(す)えたようである。
――ははは。
ま。
掛けたまえ。
――はっ。
――のみながら。
――ひとつ。
という工合いに、兵士の如く肩をいからせ、すすめられた椅子に腰をおろして、このようなところで先生にお逢いするとは実もって意外である。
先生は毎晩ここにおいでになるのでしょうか。
私は、先夜、先生の千人風呂という作品を拝誦(はいしょう)させていただきましたが、やはり興奮いたしまして、失礼ながらお手紙さしあげた筈(はず)でございますが。
――あれは君、はずかしいものだよ。
――しつれいいたしました。
私の記憶ちがいでございました。
千人風呂は葛西(かさい)善蔵氏の作品でございました。
――まったくもって。
わけのわからぬ問答に問答をかさねて、そのうちに、久保田氏は、精神とかジャンルとか現象とかのこむずかしい言葉を言い出し、若い作家の読書力減退についてのお説教がはじまり、これは、まさしく久保田万太郎なのかもしれないなどと思ったら酔いも一時にさめはて、どうにも、つまらなくなって来て、蹌踉(そうろう)と立ちあがり、先生、それではごめん下さい。
これから旅に出るのです。
ええ、このお金がなくなってしまうところまで、と言いつつ内ポケットから二三枚の十円紙幣をのぞかせて、見せてやって、外へ出た。
あああ。
今夜はじつに愉快であった。
大川へはいろうか。
線路へ飛び込もうか。
薬品を用いようか。
新内と商人と、ふたりの生活人に自信を与えた善根によっても、地獄に堕ちるうれいはない。
しずかな往生ができそうである。
けれども、わが身が円タク拾って荻窪の自宅へ易々とかえれるような状態に在るうちは、心もにぶって、なかなか死ねまい。
とにかく東京から一歩でも、半歩でもなんでも外へ出る。
何卒(なにとぞ)して、今夜のうちに、とりかえしのつかないところまで行ってしまって置かなければ。
よこはまほんもく二円はどうだ。
いやならやめろ。
二円おんの字、承知のすけ。
ぶんぶん言って疾進してゆく、自動車の奥隅で、あっ、あっと声を放って泣いていた。
今は亡き、畏友、笠井一もへったくれもなし。
ことごとく、私、太宰治ひとりの身のうえである。
いまにいたって、よけいの道具だてはせぬことだ。
私は、あした死ぬるのである。
はじめに意図して置いたところだけは、それでも、言って知らせてあげよう。
私は、日本の或る老大家の文体をそっくりそのまま借りて来て、私、太宰治を語らせてやろうと企てた。
自己喪失症とやらの私には、他人の口を借りなければ、われに就いて、一言一句も語れなかった。
たち拠らば大樹の陰、たとえば鴎外、森林太郎、かれの年少の友、笠井一なる夭折(ようせつ)の作家の人となりを語り、そうして、その縊死のあとさきに就いて書きしるす。
その老大家の手記こそは、この「狂言の神」という一篇の小説に仕上るしくみになっていたのに、ああ、もはやどうでもよくなった。
文章に一種異様の調子が出て来て、私はこのまま順風を一ぱい帆にはらんで疾駆する。
これぞ、まことのロマン調。
すすまむ哉(かな)。
あす知れぬいのち。
自動車は、本牧の、とあるホテルのまえにとまった。
ナポレオンに似たひとだな、と思っていたら、やがてその女のひとの寝室に案内され枕もとを見ると、ナポレオンの写真がちゃんと飾られていた。
誰しもそう思うのだなと、やっとうれしく、あたたかくなって来た。
その夜、ナポレオンは、私の知らない遊びかたを教えて呉れた。
あくる朝は、雨であった。
窓をひらけば、ホテルの裏庭。
みどりの草が一杯に生えて、牧場に似ていた。
草はらのむこうには、赤濁りに濁った海が、低い曇天に押しつぶされ、白い波がしらも無しに、ゆらりゆらり、重いからだをゆすぶっていて、窓のした、草はらのうえに捨てられてある少し破れた白足袋は、雨に打たれ、女の青い縞(しま)のはんてんを羽織って立っている私は、錐(きり)で腋(わき)の下を刺され擽(くす)ぐられ刺されるほどに、たまらない思いであった。
ハクランカイをごらんなさればよろしいに、と南国訛(なま)りのナポレオン君が、ゆうべにかわらぬ閑雅(かんが)の口調でそうすすめて、にぎやかの万国旗が、さっと脳裡(のうり)に浮んだが、ばか、大阪へ行く、京都へも行く、奈良へも行く、新緑の吉野へも行く、神戸へ行く、ナイヤガラ、と言いかけて、ははははと豪傑笑いの真似をして見せた。
しっけい。
さようなら、あら、雨。
はい、お傘。
私は好かれているようであった。
その傘を、五円で買います。
みんながどっと声をたてて笑い崩れた。
ああ、ここで遊んでいたい。
遊んでいたい。
額がくるめく。
涙が煮える。
けれども私は、辛抱した。
お金がないのである。
けさ、トイレットにて、真剣にしらべてみたら、十円紙幣が二枚に五円紙幣が一枚、それから小銭が二、三円。
一夜で六、七十円も使ったことになるが、どこでどう使ったのか、かいもく見当つかず、これだけの命なのだ。
まずしい気持ちで死にたくはなかった。
二、三十円を無雑作にズボンのポケットへねじ込んであるが儘(まま)にして置いて死ぬのだ。
倹約しなければいけない、と生れてはじめてそう思った。
花の絵日傘をさして停車場へいそいだのである。
停車場の待合室に傘を捨て、駅の案内所で、江の島へ行くには?
と聞いたのであるが、聞いてしまってから、ああ、やっぱり、死ぬるところは江の島ときめていたのだな、と素直に首肯(うなず)き、少し静かな心地になって、駅員の教えて呉れたとおりの汽車に乗った。
ながれ去る山山。
街道。
木橋。
いちいち見おぼえがあったのだ。
それでは七年まえのあのときにも、やはりこの汽車に乗ったのだな、七年まえには、若き兵士であったそうな。
ああ。
或る月のない夜に、私ひとりが逃げたのである。
とり残された五人の仲間は、すべて命を失った。
私は大地主の子である。
地主に例外は無い。
等しく君の仇敵(きゅうてき)である。
裏切者としての厳酷なる刑罰を待っていた。
撃ちころされる日を待っていたのである。
けれども私はあわて者。
ころされる日を待ち切れず、われからすすんで命を断とうと企てた。
衰亡のクラスにふさわしき破廉恥(はれんち)、頽廃(たいはい)の法をえらんだ。
ひとりでも多くのものに審判させ嘲笑させ悪罵(あくば)させたい心からであった。
有夫の婦人と情死を図ったのである。
私、二十二歳。
女、十九歳。
師走(しわす)、酷寒の夜半、女はコオトを着たまま、私もマントを脱がずに、入水(じゅすい)した。
女は、死んだ。
告白する。
私は世の中でこの人間だけを、この小柄の女性だけを尊敬している。
私は、牢へいれられた。
自殺幇助罪(ほうじょざい)という不思議の罪名であった。
そのときの、入水の場所が、江の島であった。
(さきに述べた誘因のためにのみ情死を図ったのではなしに、そのほかのくさぐさの事情がいりくんでいたことをお知らせしたくて、私は、以下、その夜の追憶を三枚にまとめて書きしるしたのであるが、しのびがたき困難に逢着し、いまはそっくり削除した。
読者、不要の穿鑿(せんさく)をせず、またの日の物語に期待して居られるがよい)私は、煮えくりかえる追憶からさめて、江の島へ下車した。
風の勁(つよ)い日で、百人ほどの兵士が江の島へ通ずる橋のたもとに、むらがって坐り、ひとしく弁当をたべていた。
こんなにたくさんの人のまえで海へ身を躍らせたならば、ただいたずらに泳ぎ自慢の二三の兵士に名をあげさせるくらいの結果を得るだけのことであろう。
私は、荒れている灰色の海をちらと見ただけで、あきらめた。
橋のたもとの望富閣という葦簾(よしず)を張りめぐらせる食堂にはいり、ビイルを一本そう言った。
ちろちろと舌でなめるが如く、はりあいのない呑みかたをしながら、乱風の奥、黄塵に烟(けむ)る江の島を、まさにうらめしげに、眺めていたようである。
背を丸くし、頬杖ついて、三十分くらい、じっとしていた。
このまま坐って死んでゆきたいと、つくづく思った。
新聞の一つ一つの活字が、あんなに穢(よご)れて汚く思われたことがなかった。
鼠いろのスプリング。
細長い帝国大学生。
背中を丸くして、ぼんやり頬杖をつく習癖がある。
自殺しようと家出をした。
そのような記事がいま眼のまえにあらわれ出ても、私は眉ひとつうごかすまい。
むごいことには、私、おどろく力を失ってしまっていた。
私に就いての記事はなかったけれども、東郷さんのお孫むすめが、わたくしひとりで働いて生活したいと言うて行方しれずになった事実が、下品にゆがめられて報告されていた。
兵士たちが望富閣の食堂へぞろぞろとはいって来て、あまり勢いよくはいって来たので私のテエブルをころがした。
コップもビイルの壜(びん)も、こわれなかったけれど、たしかに未だ半分以上も壜に残っていたビイルが白い泡を立てつつこぼれてしまった。
二、三の女中は、そのもの音を聞き、その光景を背のびして見ていながら、当りまえの様な顔をして、なんにもものを言わなかった。
トオキイの音が、ふっと消えて、サイレントに変った瞬間みたいに、しんとなって、天鵞絨(ビロード)のうえを猫が歩いているような不思議な心地にさせられた。
狂気の前兆のようにも思われ、気持ちがけわしくなったので、それでも、わざとゆっくりと立ちあがり、お勘定してもらって外へ出た。
たちまち烈風。
スプリングの裾(すそ)がぱっとめくりあげられ、一握の小砂利が頬めがけて叩きつけられぱちぱち爆(は)ぜた。
ぐっと眼をつぶって、今夜死ぬるとわれに囁(ささや)き、みんながみんな遠くへ去っていって、世界に私がひとりだけ居るような気持ちで、ながいこと道路のまんなかに立ちつくした。
眼をあいたときには、まったく意志を失い、幽霊のように歩いて、磯(いそ)へ出た。
真くろい雲が充満し、空は暗くて低かった。
見渡すかぎり、人の影がなかった。
腐りかけた漁船がひとつ、砂浜に投げ捨てられ、ひっくりかえって、まっくろい腹を見せてあるほかには、犬ころ一匹いなかった。
私は、ズボンのポケットに両手をつっこみ、同じ地点をいつまでもうろうろ歩きまわり、眼のまえの海の形容詞を油汗ながして捜査していた。
ああ、作家をよしたい。
もがきあがいて捜しあてた言葉は、「江の島の海は、殺風景であった」私はぐるっと海へ背をむけた。
ここの海は浅く、飛びこんだところで、膝小僧をぬらすくらいのものであろう。
私は、しくじりたくなかった。
よしんばしくじっても、そのあと、そ知らぬふりのできるような賢明の方法を択(えら)ばなければ。
未遂で人に見とがめられ、縄目(なわめ)の恥辱を受けたくなかった。
それからどれほど歩いたのか。
百種にあまる色さまざまの計画が両国の花火のようにぱっとひらいては消え、ひらいては消え、これときまらぬままに、ふらふら鎌倉行の電車に乗った。
今夜、死ぬのだ。
それまでの数時間を、私は幸福に使いたかった。
ごっとん、ごっとん、のろすぎる電車にゆられながら、暗鬱でもない、荒涼でもない、孤独の極でもない、智慧(ちえ)の果でもない、狂乱でもない、阿呆感でもない、号泣(ごうきゅう)でもない、悶悶でもない、厳粛でもない、恐怖でもない、刑罰でもない、憤怒(ふんぬ)でもない、諦観でもない、秋涼でもない、平和でもない、後悔でもない、沈思でもない、打算でもない、愛でもない、救いでもない、言葉でもってそんなに派手に誇示できる感情の看板は、ひとつも持ち合せていなかった。
私は、深刻でなかった。
電車の隅で一賤民のごとく寒さにふるえて眼玉をきょろきょろうごかしていただけのことであったのである。
途中、青松園という療養院のまえをとおった。
七年まえの師走、月のあかい一夜、女は死に、私は、この病院に収容された。
ひとつきほど、ここで遊んで、からだの恢復をはかったのであるが、そのひとつき間の生活は、ほのかにではあったけれども、私に生きているよろこびを知らせて呉れた。
それからの七年間、私にとっては五十年、いや十種類の生涯のようにも思われたほど、さまざまの困難が起り、そのときそのときの私の辛抱もまったくむだのようであって、私にはあたりまえの生活ができず、ふたたび死ぬる目的を以て、こんどはひとりでやって来た。
療養院にも七年の風雨が見舞っていて、純白のペンキの塗られていた離宮のような鉄の門は鼠いろに変色し、七年間、私の眼にいよいよ鮮明にしみついていた屋根の瓦(かわら)の燃えるような青さも、まだらに白く禿(は)げて、ところどころを黒い日本瓦で修繕され、きたならしく、よそよそしく、まったく他人の顔であった。
七年間、ほかの人から見たならば、私の微笑は、私の姿態は、この建築物よりいっそう汚れて見えるだろう。
おや?
不思議のこともあるものだ。
あの岩がなくなっているのである。
ねえ、この岩が、お母さんのような気がしない?
あたたかくて、やわらかくて、この岩、好きだな、女のひとはそう言って撫(な)でまわして、私も同感であったあのひらたい岩がなくなった。
飛びこむ直前までそのうえで遊びたわむれていたあの岩がなくなった。
こんな筈(はず)はない。
どちらかが夢だ。
がったん、電車は、ひとつ大きくゆれて見知らぬ部落の林へはいった。
微笑(ほほえ)ましきことには、私はその日、健康でさえあったのだ。
かすかに空腹を感じたのである。
どこでもいい、にぎやかなところへ下車させて下さい、と車掌さんにたのんで、ほどなく、それではここで御降りなさいと教えられ、あたふたと降りたところは長谷であった。
雨が頬を濡らして呉れておお清浄になったと思えて、うれしかった。
成熟した女学生がふたり、傘がなくて停車場から出られず困惑の様子で、それでもくつくつ笑いながら、一坪ほどの待合室の片隅できっちり品よく抱き合っていた。
もし傘が一本、そのときの私にあったならば、私は死なずにすんだのかも知れない。
溺(おぼ)れる者のわら一すじ。
深く、けわしく、よろめいた。
誓う。
あなたのためには身を粉にして努める。
生きてゆくから、叱らないで下さい。
けれどもそれだけのことであった。
語らざれば、うれい無きに似たりとか。
その二人の女のうち笹眉(ささまゆ)をひそめて笑う小柄のひとに、千万の思いをこめて見つめる私の瞳の色が、了解できずに終ったようだ。
ひらっと、できるだけ軽快に身をひるがえして雨の中へおどり出た。
つばめのようにはいかなかった。
あやうく滑ってころぶ
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