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となりのトトロの自然観
「となりのトトロ」の自然観
文責/叶精二
※以下の原稿は1998年7月に某出版社の依頼で書いたものですが、諸般の事情で掲載に至らなかったものです。
はじめに
「となりのトトロ」は誰もが認める宮崎駿監督の代表作である。
昨年公開された「もののけ姫」に批判的だった評者にも、「トトロ」を絶賛していた人は数多い。
理屈の多い「もののけ姫」は嫌だが、理屈抜きに楽しくてなつかしい「トトロ」は支持するということらしい。
確かに、この作品のエンタテイメント性は群を抜いており、世代も国境も越えた普遍性を獲得している。
(注1)
ところが、宮崎監督自身は当時以下のような発言をしている。
「いままで作った映画のなかで、いちばん理屈が多い作品」「理屈のギリギリのところで綱わたりをしながら作った」(注2)理屈抜きのなつかしさの裏側には、ギリギリの理屈とそれを支えた技術的根拠があったわけだ。
それらの理屈は、ずっと以前から監督が日本の風土と歴史を肯定的に捉える核となっていたようだ。
その一つは、中尾佐助氏の「照葉樹林文化論」や藤森栄一氏の「縄文中期農耕起源説」といった植物学・考古学・民俗学的興味に裏付けられた自然観や生命思想のことを指すと思われる。
つまり、「もののけ姫」でむき出しとなったモチーフと「トトロ」を支えた理屈は同根なのである。
その隠れたメッセージを無視するか否かは一般観客にとっては自由だが、十年間も分析を避け続けて来た評者諸氏には相応の責任もあろう。
「もののけ姫」では各評者が否応なく監督の思想に向き合わされたわけだが、これはいわばツケを払わされたということではないか。
監督の思想傾向は、一挙的に進化したわけではない。
「トトロ」の考察は、結果的にそのことを証明することにもなろう。
「いまさらトトロ?
」と見る向きもあろうが、まともな分析にさらされていない以上、意義は大きいと考える。
以下、手垢のついていない観点から、実験的な考察を進めてみたい。
1. 「なつかしさ」はどこから来るか
これまで語られて来たこの作品の「なつかしさ」とは、主に以下の二点の内容である。
一つは、子供たちの生き生きとした表情や動作に、自らの幼少期や育児体験が重なるというもの。
宮崎監督は、自身やスタッフの体験、周囲の観察を子供たちの描写に生かすことに情熱を傾けた。
個々バラバラの体験を皆が納得する普遍性に昇華した演出は見事であり、評価されて然るべきである。
この点について技術的・思想的に述べるべきことは数多いのだが、本論の論旨を外れる関係で、今回は避ける。
詳論は別の機会に臨みたい。
(注3)
もう一つは、物語の舞台である「自然の風景描写」が一種の郷愁を誘うと言うものだ。
経度も緯度も幅広い日本では、各地で自然環境はかなり異なるはずだが、評価は不思議と全国一律である。
つまり、各々が作品に別々の故郷や地域の過去を重ね見たわけだ。
これを「豊かな自然と解け合う瞬間は至福であり、万人に共通の記憶なのだ」などと抽象的解釈で済ますのは簡単だ。
しかし、監督の意図はそれほど漠然としたものだったのだろうか。
森の妖精と人間が交流する物語はこれまでに幾らでもあった。
にもかかわらず、「トトロ」が熱烈に支持された理由は、自然の描写によほどの独自性と説得力があったからではないか。
結論から先に言えば、「トトロ」の最も画期的な試みは、日本の商業アニメーション史上で初めて、日本の原風景たる里山の情景と実在する植物群の生態系を克明に描き分けたことである。
そこには、天候の微妙な変化や湿度、嗅覚・触感まで呼びさまされそうな空間がまるごとあった。
紙とセルに描かれた表現が、五感をフル稼働させた実体験に迫ったのだ。
この点についての客観的評価が、ほとんど成されていないことは残念である。
一般的な日本の商業アニメーションの美術では、あらゆるものが抽象的である。
舞台は国籍不明、空間は心理描写でカラフルに変化、スピード感は効果線で表現し、宇宙空間ならば紺ベタでOK。
つまり、実景とはかけ離れた特殊な空間として何でも許されてしまうのだ。
当然、草木は種別を問わない「緑の記号」として描かれる。
草は黄緑色の絨毯、木は針葉樹なのか広葉樹なのかも区別がつなかい。
実在種を描き分けるには、すさまじい手間と技術を要するからである。
日差しの光線や雲の色、影の長さなどで一日の時間や季節感を表現する手法も、同様の理由で、ほとんど前例がない。
大概は真昼と夜の極端な区分だけですませてしまう。
過去、宮崎監督もチャレンジを重ねてはいたものの、ここまで徹底したのは初めてであった。
「トトロ」はあえて技術的タブーに正面から挑んだ作品である。
監督自身が何度も強調しているように、この作品のテーマは、美術監督・男鹿和雄氏以下のスタッフによる緻密な美術表現によって支えられている。
美術スタッフは「道端の雑草も観察して描くこと」を最大のモチーフとしていたと言う。
「なつかしさ」の要因の一つはここにある。
作品を正面から論じるならば、まずこの点に着目すべきだろう。
ちなみに、作中で筆者が確認出来た草花や樹木を一覧表にまとめてみた。
(注4)これだけでも、なつかしい空間を作り出すための努力が、どれほどすさまじいものであったかを伺い知ることが出来るだろう。
では、更に「トトロ」で描かれた自然がどのような計算と思想的動機によって作られていたかを考察してみたい。
2. 「松郷」―針葉樹のある里山
「トトロ」の主な舞台である「松郷」地区の「自然」は、「日本人にとって気持ちのいい風景」を巧みに計算して作られた架空の村落である。
より具体的には「松郷」周辺は、二種類の風景によって構成されている。
一つは、松郷のほぼ全域にひろがる風景。
ここでは、低地に水田が広がり、その間を小川が流れ、丘陵には茶や里芋などの畑が広がり、モモ・カキのような果樹、ツバキやツツジなどの中低木が植林され、鶏やヤギなどの家畜がおり、庭の広い藁葺き屋根の農家がポツポツと並んでいる。
典型的な「田舎」である。
このような風景を、「里山」と呼ぶ。
また、七国山病院の裏山や、松郷と七国山の中間と思われる道の脇には、マツ林が広がる。
バス停の稲荷前周辺にはスギ林がある。
これらは、かつて人が原生林を開拓した後に、薪炭林・防風林・建材用として植林されたものであろう。
マツは昔話に最も多く登場する種であり、中世以降日本人に最も馴染みが深い木である。
スギは、戦後政府が全国的に植樹を奨励した樹である。
これらは全て人工の明るい林であり、数百年に亘って里山の一部を構成して来た。
このような里山の風景は、多くの大人たちのなつかしさを誘う。
それは何故か。
答は、宮崎監督の盟友兼ライバルである高畑勲監督作品「おもひでぽろぽろ」の台詞にある。
同作品で有機農業を生業とする青年トシオは「人間が自然と闘ったり、自然からいろんなものをもらったりして暮らしているうちに、うまいことできあがった景色なんですよ、これは。
」と語って、主人公のタエ子を驚かせる。
食糧生産源である田畑、水利に富んだ川、適度の果樹、道の端々に咲く草花、山菜・建材・薪を採取出来る林野、手入れされた竹林、祭祀を行える寺社。
これらは、小さな集落で一定の自給自足が快適に行えるようにと何世代にも亘って工夫をこらされ、数百年の風雪にさらされて出来上がった日本独特の風景である。
いわば、人と自然との共同作業によって完成された風景なのだ。
日本人は、数百年来この風景の中で資源循環型のライフサイクルを保って来た。
(注5)
そうした里山は、わずか数十年前まで日本全国にあった。
しかし、六〇年代の高度経済成長と八〇年代のバブルの波を経て、ほとんどの里山がニュータウンや市街地に改変されてしまった。
なつかしさは、戦後日本の急速な近代化、都市への人口流出とライフスタイルの激変によって作られたのである。
筆者は昨年、宮崎監督に直接里山について伺ったことがある。
以下にその一部を引用したい。
「パクさん(高畑監督)とも一致するんですけど、ある時期に非常にバランスのとれた風景ができ上がるんです。
」
「明治の中期から、東京の人口が増えて来て、炭とか薪の需要が増えて、プロパンガスや都市ガスが普及するまでは、集約的に手が入ったものだから、結果的に雑木林がすごくきれいになったんです。
」(注6)里山の美しさは、人の手が加えられることで保たれて来たのである。
「松郷」とは読んで字の如く、「マツのサト」。
つまり、「かつて針葉樹を植林した里山」といった由来の地名であろう。
おそらく監督は、日本の近代を象徴する理想の里山を目指していた筈だ。
監督は、その地名にふさわしいリアリティを美術スタッフに求めたのである。
一例を挙げれば、草壁家の前を流れる小川について、「澄んだ水が水量ゆたかに流れている」と絵コンテで指定している。
護岸工事と生活雑排水によって微生物が死滅し、ヘドロ化する以前の小川なのである。
電信柱がほとんど描かれていないこと、電話やテレビ、プラスチックなどの石油化学製品が普及していないことも同様である。
設定年代の「昭和三〇年前後」も、里山が理想のふるさとだったギリギリ最後の時代という意味があったのだろう。
3. 「塚森」―鎮守の森
もう一つの風景は、トトロの住む「塚森」地区である。
ちょっと恐ろしげな暗い森があり、人里とは違った空気が感じられる。
松郷の一部でありながら、ここだけは別世界のようだ。
このような風景は実際に全国の村落に多く見られる。
この暗い森の中心には寺社が据えられていることが多く、日常とは別個の特別な場所としての機能を持たされている。
このような暗い社寺林を「鎮守の森」と呼ぶ。
古来、明るい里山には、暗い鎮守の森が不可欠だったのだ。
縄文時代、日本全土は暗い森だらけであった。
南西半分は照葉樹林に、北東半分は落葉広葉樹に覆われていた。
日本人は、三千年以上に亘って森を生活の場として、アニミズム的世界観の下で、平和的な狩猟採集文化を築いて来た。
巨大権力の基盤がなく、部族抗争も少なかった。
大量に出土する土器をその象徴とする説もある。
日本人は「森の民」として人類史に登場したのである。
稲作文化が輸入された弥生時代以降、人は森を拓り開き生態系を破壊して来た。
扇状地を中心に水田を築き、村を作り、周辺に里山を築いた。
そうして、安定した食料の確保と定住生活を獲得して来たのだ。
しかし、先人たちは現在の建設省のようにやみくもな自然破壊を行っていたわけではない。
人間と自然との間には、ある種の礼節、不文律があったのである。
巨樹が密生する暗い森の一部は、原生林に近い形で積極的に残しておいたのだ。
暗い森を神の宿る神聖な場所として定め、そこに寺社を築いて冠婚葬祭の中心に据えたのである。
森と寺社の歴史はどちらが古いかは各地域によるであろうが、「暗い森が神聖だ」という発想の根本は、宗教確立以前の原始宗教―アニミズムにまで遡ると思われる。
まさしく「ここには何か棲んでいる」という鋭い感覚が、暗い森や大樹を祀る風習を形作って行ったのである。
日本人の情緒の奥底には、暗い森に対する畏怖と感謝の混ざりあった感情が、縄文以来脈々と引き継がれているのかもしれない。
樹木伐採のタタリで死んだという伝承や、「森厳」などと言う言葉が現在にまで残っているのもこのためであろう。
監督は、こうした「根っこの情緒」をすくい上げることに心を砕いたと思われる。
たとえば、巨大なクスノキの根本には、小さな水天宮が置かれている。
村人によって落葉が片づけられ、絵馬が飾られている。
水天宮は水利の神、田圃の神、子供の神であると言うから、いかにも作品の空気に合っている。
しかし、起源をただせば天皇を祀ったものであり、明治一年に全国の神社が廃仏毀釈で国家神道に改変されたことで、戦中は戦意高揚にも利用された筈だ。
監督は生々しい歴史を引きずった国家神道ではなく、素朴なアニミズムを臭わせるために、わざわざサツキたちが水天宮に参拝したり、鳥居をくぐるカットを作らなかったと語っている。
クスの根本の注連縄さえ描くかどうか迷ったそうだ。
許されたのは、雨やどりに使った地蔵の祠に小さく合掌する程度まで。
(注7)宗教色に関しても「日本人の根っこ」に訴えかけるための細かな計算がされていたわけだ。
鎮守の森に感じるなつかしさは、里山に対するそれよりも古い記憶なのかも知れない。
「恐ろしい森」が「なつかしい」ということは、里山同様残っていないという逆説を自ら証明していることになる。
うがった見方をすれば、やみくもな自然破壊で失った暗い森への後悔の念ということにもなるだろう。
以下、塚森の構成要素について更に検討してみたい。
4. 照葉樹林文化―なぜクスノキなのか
作中の塚森(鎮守の森)を更に区分けすれば、巨大なクスノキとその周辺の森とに分けられる。
これもかなり作為的な構成と思える。
まず森の中心を成すクスノキについて考えてみたい。
作中のクスノキ(通称・大クス)は、まるで人格を持った脇役のようである。
天を覆わんばかりの巨大樹で、根本の空洞にはトトロたちの棲み家がある。
その幹には注連縄が結ばれ、水天宮が置かれている。
「自然と人間との関わり」をやんわりと示す場所であり、ストーリィが大きく展開する場所でもある。
不気味だが崇高な巨木という物語上の設定は、児童文学の世界では使い古されたものだ。
しかし、樹名が不明確で絵本作家によって解釈が異なっているものが多い。
宮崎監督の前作「天空の城ラピュタ」にもリアルな巨木が登場するが、樹名は不明。
しかし、「トトロ」ではあえて実在種のクスノキを選んでいる。
天然記念物に数多く指定されているサクラの老樹やイチョウの巨木、親しみやすいマツやスギなど針葉樹ではダメだったのだ。
他の巨木とクスノキとはどこが違うと言うのだろうか。
実は、クスノキの選択には、監督の植物学的な思想傾向が反映している。
クスは「樟」または「楠」と記す。
後者の「楠」は、文字通り「南」の「木」の意味である。
クスは日本列島南西部に集中しており、巨樹は特に九州地方に多い。
クスは、暖温帯に生える性質を持つからである。
トトロの語源の一つは宮崎監督の住んでいる「所沢のオバケ」とのことで、舞台は関東近郊の感が強い。
しかし、監督は意図的に舞台の中心にクスノキを据えたのである。
監督自身も「どこか西の方の感覚なんですね。
」「あんな巨木はないですよ。
」と発言している。
(注8)また、「樟の巨樹というのも、三十過ぎて、自然のことに関心をもつようになってから、頭の中に浮かんだ空想上の風景なんです。
」とも記している。
(注9)監督の頭の中にはなぜクスが浮かんだのか。
南方系日本人の情緒の源たるクスを森の中心に据えた理由は何か。
縄文時代以前、暖温帯である日本の南西部はうっそうたる照葉樹林に覆われていた。
常緑に輝く葉に覆われ、昼尚暗いジメジメした森林。
それは、シイ・カシ・タブ・ツバキなどで構成されていた。
同様の植物層から成る森林は、日本を東端として、海を越えて中国南雲省から中央アジアの彼方までベルト状に広がっていた。
そこには、ドングリなどの堅果を砕いて食材とする人類文化が芽生え、やがてヤムイモ芋類の栽培が行われ、モチや稲作などネバネバ系の食文化が展開した。
また、緑茶や着物などの文化が発展した。
同じ森林の元で個々別々に発生しながら、不思議に良く似た傾向を持つこの文化・風習を、「照葉樹林文化」と呼ぶ。
それは、国境も民族も言語も越えて、古代から同じ森林の下で生きてきた人類の歴史的共通項を理論的に体系化した学説であった。
たとえば、作中、草壁家とカンタの家には「茶」のラベルが貼られた木箱が何度か登場する。
(C-163、C-500)七国山からの帰路には、茶畑が広がっている。
(C-257)所沢を含む狭山丘陵は全国に知られた茶所であるから当然ではあるが、この緑茶の栽培もまた照葉樹林地帯でのみ行われていた特殊な文化なのである。
お茶の木もまた、照葉樹である。
宮崎監督は「三十過ぎて」から、この「照葉樹林文化論」の提唱者である植物学者の中尾佐助氏に熱烈に傾倒してきた。
農村を貧乏の象徴と考え、心情左翼として日本に政治的・思想的失望を抱いていた宮崎監督は、この学説と出会うことで風土への愛着を呼び覚まされと言う。
(注10)日本人のふるさとを肯定的に描くために照葉樹を登場させることは、監督にとって必須の課題であったのだ。
クスノキは、日本に於ける照葉樹の代表種。
「トトロ」は、具体的に照葉樹を描いた最初の作品なのである。
太古の昔から、照葉樹林の恩恵を受けてきた「照葉樹林文化地帯人」としての遠い記憶。
それが、クスノキに対する畏れと敬いを呼び起こし、なつかしさを生むのかも知れない。
ところで、同じ照葉樹の高木でも、なぜシイやカシやモチノキではなくクスノキなのだろうか。
次に、日本におけるクスの特別な役割について論を進めたい。
5. クスノキ信仰―たった一本で森となる
高畑勲監督は、日本人の情緒傾向について、以下のような興味深い記述を行っている。
「おなじ照葉樹でも、シイやカシはぼさぼさとほこりっぽく、どちらかといえば新緑が美しくたたずまいの立派なクスノキに惹かれます」(注11)
日本最古の大樹は、「もののけ姫」のロケハンで話題となった屋久島の縄文杉である。
縄文杉は推定樹齢が何と七二〇〇年である。
しかし、日本最大の大樹となると、間違いなくクスノキなのだ。
「最大」とは幹周りの太さを意味する。
環境庁の全国巨樹・巨木林調査は幹周りでランク付けされる。
その調査結果では、何と上位十一位中、十本までがクスノキなのである。
どれくらい巨大かと言えば、第一位の「蒲生の大樟(鹿児島県)」は、幹周りが何と二四・二メートルもある。
(ちなみに、縄文杉は一六・四メートルで十二位)筆者は、第二位の「来宮神社の大樟(静岡県)」を実見したが、まさにトトロの棲み家にふさわしく、ゴツゴツとした樹皮に囲まれた空洞を持ち、圧倒的な大きさの中に厳かな風格がただよっていた。
福岡県の宇美八幡宮には「湯蓋の森」「衣掛の森」と呼ばれる名所がある。
それは実際の「森」ではなく、二本のクスノキの名である。
「一本の木でありながら枝が四方八方に広がって、あたかも森を思わせることから『森』の名がついた」と言う。
たった一本の木を「森」と呼ぶ地名は他に例がない。
これは日本人独特の連想かも知れない。
「塚森」の地名の由来もこれと同じではないか。
塚森のクスノキは、まさに一本で「森」である。
また、クスは単に巨大なだけではない。
クスは様々な信仰の対象として、日本各地で祀られている。
クスは、各地の神社仏閣の周辺の植樹された。
古来から祀られていたクスの老樹を中心に、周辺にもクスを植林して人工的に「鎮守の森」を作り出した地域さえある。
前述の「湯蓋の森」「衣掛の森」の由来は、応仁天皇が産湯を使った時に、一方の樹が茂って湯蓋の役割を果たし、もう一方の樹が産着を掛けたという伝承に起因すると言う。
時の天皇崇拝は、神木の助力で補完されていたというわけだ。
佐賀県の「川古の大樟」には、行基仏が彫られたという伝承があると言う。
クスは神仏そのものだったのだろうか。
一方で、伐られても枝がすぐに伸び、長寿でもあることから、子供の守護神としてクスを祀る風習もあったとも言う。
粘菌の研究で知られる南方熊楠は、自伝に「予の名の一字は楠の神より授かり、兄弟六人みな楠の名がつく」と記している。
主題歌の歌詞に「子供のときにだけあなたにおとずれる不思議な出会い」とあるが、大クスに棲むトトロは人間の側から見れば子供の守護神と見えなくもない。
クスノキは、古来より日本人にとって、最も大きく、最も特別な樹だったのである。
クスは「人の手の及ばない何かが棲んでいる」という神聖さや畏怖を感じつつ、それでいて護ってくれるような親近感が沸くという、まことに希な樹のようだ。
宮崎監督にとって、日本人の「森へのパスポート」は、クス以外には考えられなかったのだ。
「縄文時代農耕起源説」に挑戦中の(注12)考古学者のお父さんは娘たちに語っている。
「お父さんは、この木を見てあの家がとっても気に入ったんだ」と。
全てはクスノキの魅力から始まったのである。
6. ブナ帯文化―ドングリ好きの習慣
次に、塚森のもう一つの顔である大クスを取り巻く雑木林について考えてみたい。
宮崎監督によれば、トトロはドングリを主食とする生きものだ(注13)と言う。
本編のエンディングにはドングリを山盛りにして喜ぶトトロのトメ絵が描かれている。
これは、実は少しおかしなことである。
トトロの住処であるクスノキにはドングリはならない。
クスの果実は黒くて丸い液果だけだ。
常緑で落葉もしないので、水天宮に注いだ落葉の主でもない。
と言うことは、大クスの周囲にドングリ―つまり堅花類のなる落葉樹が豊富にあったことになる。
ドングリがなるのは、ブナ・ナラ・カシ・クリなどブナ科の樹木である。
ブナ科の中には、コナラ・クヌギ・クリのような落葉広葉樹と、スダジイ・マテバシイ・シラカシのような照葉樹とが併存する。
ブナに限れば、生育地域が異なるのでクスと競合することはないと言う。
監督は塚森をクス林や完全な照葉樹林にはせず、あえてナラやクリを含む雑木林にすることにこだわったと思われる。
ここにも大きな理由がありそうだ。
トトロがサツキたちに手渡したササの葉にくるんだお土産にはブナ科のドングリがギッシリ詰まっていた。
それは、クリと長短各種のドングリであった。
サツキたちは、これを庭に植えて例の「ドンドコ踊り」によって芽吹かせることに成功する。
その後、電報を届けに来た郵便配達のおじさんがサツキの観察スケッチをチラリとのぞくシーンがある。
そこには、画面左より背の高い順に「クヌギ」「シラカシ」「コナラ」「マテバシイ」とはっきり樹名が記されている。
(C-671)いずれも関東以南によく見られるブナ科の植物である。
マテバシイのみ九州を中心に分布するが、このドングリは最も美味しいそうだから、美食家のトトロが種を取り寄せ、好んで植えていたのかも知れない。
このシーンは絵コンテの段階では(左から)「シラカシ」「クヌギ」「ミズナラ」と記されている。
更に「ミズナラ」は一度消して「コナラ」と書き替えられている。
これは、「ミズナラ」は「コナラ」より分布が狭く、高い山地を中心に生育することを調べた上での訂正だろう。
順番も一般的生育順を考慮して変更したと思われる。
本編ではカットされたが、郵便屋が「シラカシ…クヌギか…上手だなぁ…」と関心する台詞まであった。
これだけでも、宮崎監督が露骨に意図してブナ科の植物を配していたことが分かる。
ブナ科の樹木はせいぜい二、三百年の寿命であり、クスのように巨大にはならない。
監督が「木の原爆」と語ったあの「夢だけと夢じゃなかった」シーンは絵空事ということになってしまう。
監督は、「残念なことに(中略)サツキやメイの庭からはクスノキは生えない」とまで言明している。
(注14)つまり確信犯なのだ。
その動機は何なのか。
前述のように、太古の日本列島は、南方は照葉樹林、北方は落葉広葉樹が覆っていた。
落葉広葉樹林は、照葉樹林と共に太古の日本人の文化を育んで来た。
中期を最盛とする縄文文化は三内丸山遺跡の例もある通り、日本列島の北方を中心に展開した。
それは、堅花の加工(ドングリを水さらしにしてアクを抜きデンプンを抽出する)、クリの栽培、山菜の採取、サケ・マスの漁などによる山内食文化であった。
人々の生活の中心は照葉樹を含むブナ科の森林であったのだ。
中尾佐助氏や佐々木高明氏と共に、これを朝鮮半島―中国大陸に連なる「ナラ林文化」と命名した。
一方、ブナ林研究者である北村昌美氏は、これを日本に限定した場合「ブナ帯文化」であるとしている。
(注15)
トトロの食材嗜好は縄文人に
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